21世紀は変化の時代、変わらなければ、世界は非常に危機的になる。 変革を成し遂げるのは、愚痴や文句ではなく、 意志をもった皆さんの勇気と行動です。 「未来へのかけ橋」 高橋雪文 著
盛岡市は三月に、四カ年の青少年健全育成計画をまとめました。その大まかな骨子は二十一世紀の青少年育成方策について「青少年は、地域社会から育くむ」という視点に立ち、多様な人間関係や自然体験、社会体験を通じて、社会性や自主性を習得し、個性を育てていく」というものです。これまで家庭や学校にだけ依存していたことを地域や企業、そして行政が共に青少年の育成事業にかかわっていこうというもので非常に評価できる内容です。特に、「社会性」や「自主性」というところに重点が置かれており、現実社会に対応して「自立したたくましい青少年を育てていこう」ということなんですね。 ここでいわれている「個性」を育てるということなんですが、最近は各方面でもてはやされていますが、私たちはこの「個性」ということばを何となく使っているのではないでしょうか。でも、その本質的な意味はもっと深いところにあるんです。 「個性」について私はこう考えています。社会人になると、何らかの仕事につきます。その仕事が何であれ、芸術でもプロスポーツでも製造業やサービス業でも、生きていくために取り組んではいても、もう一面で社会を支える一人として仕事を通じて社会全体に貢献しているんです。逆に考えると社会に貢献するために「個々の能力を発揮する」その手法こそが「個性」だと思います。だから茶髪にしたり、特異な服装をしたり、特殊な趣味を持っているというのは、非常に狭い意味の「個性」でしかありません。社会に貢献できるような一人ひとりの「個性」を育てていくことが本当の「個性教育」です。教育問題というのは、早急に結果が出るわけではありませんから評価は難しいんです。 現在、日本が、貧しかった時代にはなかった問題が教育現場で起きています。学級崩壊、いじめ、登校拒否などですね。一月の「成人の日」での若者たちの行動も問題になりましたが、こういう問題は大人社会を反映していると感じます。大人社会のひずみを自己流で表現しているわけで、非常に不幸な青少年たちだと思います。 あと十数年後には日本は本格的な少子高齢化社会に突入します。その時代を担うのは、これら現在の青少年たちや私たちの世代です。いってみれば二十一世紀の日本は、私たちや彼らの手にかかっています。日本を占うキーワードはまさに「教育」。そして「人材育成」なのです。日本の宝として家庭で、地域で皆さんが教育にかかわる時です。
私は日本の憲法は改正しなければならないと思っています。今の憲法は別名「平和憲法」といわれ、それなりの意義もあります。憲法制定の歴史をひも解くと、敗戦後GHQの占領下で「二度とアメリカの脅威にならないよう」に考えられ、アメリカ人の手で創作されたものです。その結果、英語を直訳したため、日本語として適切ではない表現もあります。 世界の先進国で、憲法を半世紀もそのままにしているのは日本だけです。日本同様に敗戦国だったドイツは四十三回、イタリアでも六回も改正しています。一番多いノルウェーでは何と百三十九回も改正されています。日本の場合、実態に合っていない部分があるにもかかわらず、憲法について議論することさえ許されない雰囲気がある。おかしいと思いませんか。 日本は平和憲法の名の下に、世界からみるとおかしな解釈論で国の根幹を支えてきました。憲法では「軍隊や戦力を保持しない」と明記しながら、戦闘能力がある組織を「自衛隊」と称して保持しています。装備レベルは明らかにアジア・ナンバーワンです。 また、憲法原文を素直に読めば、その矛盾点は明らかです。その詭弁とも呼べる拡大解釈が憲法への本質的なアプローチを閉ざしているところに、政治に信頼が置けない一端があるのではないでしょうか。スイスは、永世中立国として有名です。日本では戦争や紛争を放棄した平和立国のように思われていますが、実際は違います。スイスでは国を守ることは国民の義務とされています。六十歳までの男子は全員軍隊に組織されており、街には目にふれないよう戦車が配されています。また各家庭にも銃が隠されているそうです。スイスにはいろいろな世界機構がありますが、そういうものに依存しないで、自主独立でやろう、政治的には中立を保とうという立場ですが、非常に軍事に気を使っている国なのです。そのスイスが国民投票によって、脱永世中立国をはかっています。世界の国々と協調していこうというふうに方針に変わってきました。それは自国だけで軍事力を維持するためには膨大なコストがかかる。また、近隣諸国と協調していかなければ、やっていけないと感じはじめたからです。スイスの政策転換は日本の政治にも大いに学ぶ面があります。アフガニスタン、イラクの問題など、国際情勢は刻々変化しています。戦争とテロの報復、その間で日本はアメリカとの関係を中心にどんな対応をするのか、国際的にも注目されています。法文の拡大解釈だけで済ましていられる状態ではないのです。
盛岡の先人の中で、私が最も敬愛し、尊敬しているのは新渡戸稲造博士です。博士は教育者として有名ですが、農学者としても、国際政治家としても多くの仕事残してます。博士との出会いは、大学三年の夏。何気なく興味本位で手に取った「武士道(ソウル・オブ・ジャパン)」という本との出会いからでした。 それまで、新渡戸稲造というと同じ郷土の偉人、五千円札の人という認識しかなく、「われ太平洋の架け橋とならん」という言葉をかろうじて知っていた程度でした。その博士が「武士道」という本を記しているなど思いもよらないことです。読み始めてすぐ、私は博士と同じ悩みを持っていたことに気づきました。海外で多くの友人に日本のことを訪ねられ、日本人の価値基準や日本のアイデンティティーとは何なのかわからずにいた時でした。博士の敬愛するラブレー教授からの問いかけはまさに私の悩みそのものだったのです。 この「武士道」との出会いによって、日本人の本質的な価値基準やアイデンティティーはサムライの生き方にあると実感しました。武士は「恥の文化」だといいます。やってはいけないこと、やらなければならないことこの善悪が明瞭です。そして礼節を重んじる。親孝行や忠孝を尽くすなど、私たち日本人にとって当たり前の徳目が書かれています。さらに、武士たるゆえんは、自らを犠牲にしても公に尽くす生き方が記されていました。 武士道は英語で書かれました。海外の人に日本のことを知ってもらいたいがために、その根底となる思想を書いたわけです。その思いは、日本は決して特異な文化や考え方を持つ民族ではなく、西洋で最も崇高と言われるノブレス・オブリッジという考えと同じ精神構造を持っていることを伝えたかったとされています。 この本の出版は日清戦争の日本の勝利の後であったため、数多くの国が日本を知るために翻訳し、武士道を読んで日本に敬意を表したと言います。また、日露戦争の調停にアメリカは尽力しますが、このときの外交官が同級生のルーズベルト大統領にお土産に持っていったのが「武士道」だったと言われています。博士は札幌農学校の二期生でした。有名なクラーク博士の「青年よ大志を抱け」を校風にする北海道大学の前身です。その志のもと「日本の心情」を世界の人に伝えたからこそ、その偉大さがあったと思います。