第3節 「生まれ変わり」の仕組み

3.人生の自己計画

 (1)果てしない成長の追求

 ホイットン博士の研究で最も興味深い点は、肉体に宿っていない状態(中間生にいる状態)の間に、魂が自分自身で、次の人生を計画するという事実が判明したことである。被験者たちは、指導役の魂たちの前で終えてきた人生を回顧し反省した後、その助言を参考にしながら、自分で次回の転生の予定を立てたことを思い出す。この時、幾多の生涯を通じて絆を作り上げてきた他の魂(後述するソウル・メイト)と相談しながら、次の人生を計画することが多いという。この場合、再会のチャンスを逃さないように、互いの誕生の時と場所を綿密に打ち合わせておかなければならない。被験者たちの証言によると、このような「グループ転生」は頻繁に繰り返されており、互いに仲がよい場合も悪い場合も、過去生に登場した人物と再び新たにかかわり合うことになる。ある被験者は、こう語る。

 「前世で充分な扱いをしてあげなかった人がいるので、この世に戻って借りを返さなければなりません。今度彼らが私を傷つける番になっても、許してあげるつもりです。」

 また、前世で自分が殺した女性のもとへ生まれ変わるのが、成長のために最も役立つという指導を受けた被験者は、催眠状態のまま、「嫌だ、あの女なんか、もう二度とごめんだ」とうめいたという。一方で、自分が解決しなければならない課題にふさわしい状況に身を置くために、わざわざ欠陥のある身体や逆境を選択して生まれるよう助言された被験者が何人もいる。ある女性は、こう証言する。

 「指導役の魂たちが、私に、次の人生では父親のいない家庭で育てられる体験を味わうべきだと助言したのです。それに、この両親を選んだことによって、結婚相手となるべき男性と出会うために、理想的な立地条件におかれることも知っていました。」

 ただし、生まれる前に立てた計画は、必ずしもその通りに実行されるとは限らない。中間生で立てる計画はいわば下絵のようなものであり、実際にこの世に生まれてくると、下絵の通りに絵を描くことは難しい。未発達の魂ほど詳細な設計図を必要とするが、発達した魂になると、大まかなアウトラインだけを作って生まれ、わざと困難な状況に身を置いて、より創造的な人生を送ることもある。ある男性の被験者は、、かつての人生のひとつで、性別と基本的性格だけを決めることにし、「多情な女になる」という設定だけを決めて生まれた。彼は人生設計に作業について、「一定の時間が経つと作動する時計仕掛けの機械を、しかるべく調整してスイッチをセットしたわけです」と表現している。

 大きな困難を克服することに何度も失敗した人々は、その課題を果たすまで、何度でも同じ状況に身を置いて生まれるよう、指導役の魂たちから促されたという。あらかじめ、何回も先の人生までを視野に入れた、長期的な計画で自分の成長をはかる場合もある。指導役の魂たちの助言を拒むのも自由であるが、その勧めを無視することは、転生が無計画に行われることを意味するため、無用の艱難辛苦がいつ襲って来るかもしれない。被験者たちは、中間生できちんと計画を立てないまま生まれてきたことをホイットン博士に告げるとき、必ず不安そうな表情をするという。一方、きちんとした計画を立てて生まれてきた被験者は、催眠状態でその計画を語るにあたって、たとえそれが困難に満ちた人生計画であっても、淡々としているという、

 ここで、被験者たちが催眠状態で語った、いくつもの人生に渡る因果応報のパターンの典型的な事例を見てみよう。被験者たちの多くが、生まれ変わりや因果応報の原則を否定するキリスト教徒であるということが、証言に信憑性を与えている。

○ベン・ガロンジは、父を憎んでおり、18歳の時に父を殺す一歩手前まで言った。父の喉を切ろうとして台所から肉切り包丁を持ち出した瞬間、心の中にささやく声が聞こえ、彼は決心をひるがえして包丁を引き出しにしまった。殺人は決してするまいと心に誓ってから、ベンの人生は大きく好転し、経営者として成功した。その後、被験者として退行催眠を受けてベンが知ったのは、その一件が、自分が「いくら腹が立っても暴力に訴えずに耐えること」を学ぶために計画したテストだったということであった。ベンは中間生の記憶をたどりながら、「今回正しい行いをすれば、事は上手く運ぶだろう。さもなければ、もっと厳しい学習環境を必要とすることになるだろう」と、指導者の魂たちが語る声を聞いたのである。

○1971年に夫を飛行機事故でなくした3児の母親は、催眠下で、3千年前に中央アメリカのマヤ文明の信心深い指導者だった人生を思い出した。その人生で彼女は、自分に反対する者に死を宣告し、いけにえにするのを楽しみにしていた。今回の人生で彼女は、かつて自分が他人に与えた、「死別の悲しみ」という試練を、今度は自分自身が味わうことにより、同情心をつちかう計画を立てていたのである。

○ユダヤ人の外科医であるエズラ博士は、催眠下で、ローマの軍人であったときの人生をまざまざと思い出した。その人生で博士は、ユダヤ人の身体を半分砂にうずめてその上を馬で突進し、ユダヤ人を痛めつけていた。今回の人生でエズラ博士は、自らが今度はユダヤ人として生まれ、迫害の苦しさを体験することを自らに課した。博士は、ユダヤ系だという理由で、大学病院から追い出されてしまったのである。

○ある我がままな性格の主婦は、催眠下で過去生をさかのぼっていった結果、美貌を鼻にかけるジョージア州の南部美人、傲慢なフランス人の牧師、家族を無視して自分のことしか考えなかったスコットランドの男性などであった人生を思い出した。彼女がこのような人生ばかりを繰り返しても得ることはないと悟ったとたん、破れかかっていた夫との仲が、劇的に好転したのである。

○ベッキー・ロバーツは、アルコール中毒にかかった冷酷な夫のもとで、3人に子供を苦労して育て上げた。ただし、クリーヴ・イーデンサーという男性が、ベッキーの家庭問題を何から何まで援助してくれたおかげで、苦労もずいぶんと助けられた。ある時に被験者となったベッキーが催眠下で見たものは、3世紀のアレクサンドリアの神殿で巫女をしていた時の自分の人生であった。その人生で、現在のクリーヴは、修行中の神官であった。強く引かれ合った2人は恋に落ちたが、ある日上司に情事が発覚し、2人は捕らえられた。神官のクリーヴは巫女のベッキーに誘惑されたためだと言い張り、この言い訳を信じた上司たちは彼を釈放するが、ベッキーは死罪を申し渡された。この大きな罪から逃れることはできず、クリーヴは今回の人生で、困っているベッキーに対して、大昔の裏切りの埋め合わせをしていたのであった。

 最後の例が示すように、ホイットン博士の被験者の多くは、妻・夫・恋人との関わり合いを一連の過去生にまでたどり、その関係が因果応報の法則のうえでいかなるものであったのかを知ったのである。ただし、我々がつらい人生を送らなければならないとしても、必ずしも過去生で悪いことをしたために償っているとは限らない。わざと厳しい条件に身を置き、一定の試練を受けることにより、大きく成長する機会を設けている場合もあるからである。しかも、生まれつき非凡な才能を持っているような場合、それは過去の人生で培ってきたものだということも、被験者たちの一連の退行催眠から明らかになった。

 慎重に選ぶか、無計画に選ぶかという差はあっても、この世の環境を選ぶのは、我々自身である。被験者たちは、その人がエイズの犠牲者であろうと、堕胎児であろうと、映画スターや、足を失った新聞売りや、大統領であろうと、どの人の置かれた状況も、偶然の成りゆきでも不条理でもないということを知る。中間生の意識状態で客観的に見れば、どの人の体験も、宇宙という教室の授業のひとこまにすぎない。肉体を持って生まれてくる「人生」という授業の中で学べば学ぶほど、我々の成長も早くなるのである。

 一方、ブライアン・L・ワイス博士は、退行催眠中に、被験者の口を借りて、複数の指導役の魂たちが直接語りかけてくるという劇的な体験をしている。被験者の口から、全く別人のものとしか思えない声と口調で、深遠なメッセージが流れ出てくるのである。ある時、ワイス博士が、「人生をより良く生きるために、我々はどうすれば良いのですか」と尋ねてみたところ、指導役の魂の一人が、次のように答えてくれたという。

 「人の道は、基本的に誰にとっても同じだ。人はこの世に生きている間に、その道を学ばなければならない。ある者は速く、ある者はゆっくりと学ぶ。慈悲、希望、信仰、愛など、人はこれらの全てを学ばなければならない。ひとつの希望、ひとつの信仰、ひとつの愛というように、切り離されるものではなく、全てはつながっている。また、それを実行する方法もいろいろある。しかし、人はまだ、どれもほんの少ししか知らないのだ。」

 この言葉は、もちろん被験者自身が思ってもいない内容であり、普段は口にすることのない口調や語句で語られ、被験者はその最中、自分の口が勝手に動いているのを自覚している。しかも、ワイス博士の実験によると、複数の被験者から同様な現象を確認することができたため、この現象が特定の被験者の錯覚や創作でないことが証明された。さらに別の時に、ワイス博士は、被験者の口を借りて現れた指導役の魂から、このようなメッセージを与えられたという。

 「大切なことは、忍耐とタイミングだ。全てのことには時がある。人生をあせってはならない。人生は、多くの人々が期待するように、うまく予定通りにいくことはない。したがって、人はその時々にやってくるものを受け入れ、それ以上を望まない方がよい。生命に終わりはない。人は決して死なないし、本当は、新たに生まれるということもない。ただ、いくつもの異なる場面を通り過ぎて行くだけなのだ。」

 しかし、このような解答を前にしても、我々は、「人生が修行の場であるならば、なぜ幼くして死んでしまう子供がいるのだろう」と疑問を持つ。ところが、臨死体験者の中には、中間生をかいま見ながら、その答えを教わったものも現れている。

 「ほんのしばらくの間しか、この世にいることができない魂もたくさんいます。生まれてから数時間とか数日間しか生きられない人たちです。そういう魂も、みんなと同じように、大いに喜んで生まれてきます。自分たちにも、為すべき目的のあることがわかっているためです。その人たちには、それ以上この世で生きながらえて成長する必要がありません。自分たちの死が、両親の成長を早める材料になっているからです。この世の悲しみは確かにつらいですが、それはすぐに過ぎ去るのです。」

 このように、若くしてこの世を去る人々は、既にこの世での目的を果たしてしまったためか、あるいは若くしてこの世を去ること自体が、その人や家族にとって特定の大きな意味を持っているからであるという。しかも、決して永遠の別れではなく、いつかこの世を去ったときに、必ず再会することができる。この仕組みを、科学的知識として知らせることによって、死別の悲しみにくれる人々を、どれだけ救うことができるだろうか。

 


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