第3節 「生まれ変わり」の仕組み

3.人生の自己計画

 (2)ソウル・メイトとの共同計画

 グループ転生をする魂の集団のうちでも、特に強い結びつきにある魂同士が「ソウル・メイト」である。ホイットン博士の被験者の多くは、妻・夫・恋人との関わり合いを一連の過去生までたどり、それが因果応報の関係にあることを知った。前世で良好な人間関係を体験した人々は、次の人生でも再び協力関係を計画する。ただし、今回の人生でその関係がまた確立されるかどうかは、中間生において魂の状態の時、一緒に次の人生を計画したかどうかによるという。

 例えば、アンドリューという被験者は、19世紀にイギリスで過ごした過去生で恋人であったモーリーンに、今回の人生でも再び出会ったのだが、その時既に彼は結婚していた。しかし、過去生で深い恋人関係にあったため、今回の人生でも強烈に引きつけ合い、不倫の関係に陥ってしまった。その後、ホイットン博士の被験者となって催眠状態でアンドリューが思い出したのは、今回生まれる前にモーリーンからこの世で再会する計画を持ちかけられたにもかかわらず、再び肉体を持って生まれることに尻込みして、きちんと計画しないままでいたということであった。そのため、過去生からの衝動が再びこの世で2人を結びつけた時、2人は夫婦の間柄としてではなく、人目を避ける愛人関係に甘んじざるを得なかったのである。このように、今回の人生における恋愛、結婚、不倫などは、過去の人生で何度も深い関係にあった魂たちとの再会であることが多いという。

 中には、瀕死の状態で中間生を覗いたとき、自分の両親を結婚させようとして苦労している魂たちを見た臨死体験者もいる。ある女性は、このように証言する。

 「その魂は、この世の不完全な男女を添わせようと懸命になっています。将来、その2人の人間が、自分の両親になる予定だったからです。キューピット役のその魂は、苦労しています。若いカップルは反対方向の人生を歩もうとしているので、知らず知らず冷たい関係になっていました。その魂は2人を導き、語りかけて、何とか一緒になるよう説得に努めています。苦境に立ったその魂を、仲間の魂たちが心配して、みんなで障害を取り除こうとしています。」

 イアン・スティーブンソン博士も、生まれ変わろうとする魂が、愛情や友情によって過去生で結びつきがあったために、特定の家族に引きつけられることを指摘している。生まれ変わろうとする魂は、ほとんどの場合、両親となるべき夫婦が提供する胎児(この世でまとう肉体)が、どのような胎児であっても引き受けざるを得ない。そこで、自分が望んでいる性別の精子を卵子の方へと誘導したり、逆の性別の受精卵を排出させたり、希望する性別の受精卵が登場するまで待つことによって、今回の人生で計画している性別として生まれてくるのではないかという。スティーブンソン博士は、子供を亡くした両親が、「その子供が自分たちのもとへ戻ってきて欲しい」と願う事例をいくつも調査したうえで、そのような場合、生まれ変わろうとする魂は性別に対する執着が強く、希望する性別の肉体が手に入るまで待ち続けているらしいと分析している。

 一方、ブライアン・L・ワイス博士の被験者たちによると、ソウル・メイトを持つことの意味は、もうひとつの魂(多くは何度も妻や夫として生まれ変わるようであるが、性別は交代する)と数多くの人生を共に生き、喜びや悲しみ、成功や失敗、愛や許し、怒りや優しさ、とりわけ、終わりのない成長を共に分かち合うことであるという。したがって、ソウル・メイトは、今回の人生で出会った瞬間から、もうずっと以前から互いに知っていたかのように、深いつながりを感じる相手であることが多い。

 また、ソウル・メイトは一人につき一人だけしかいないわけでもなく、むしろ我々は、多くのソウル・メイトから成る魂のグループを持っている。妻や夫というロマンスの相手ばかりでなく、親友、両親、子供といった関係として生まれ変わってくることも多い。我々は、自分のソウル・メイトたちと共に、何度も何度も生まれ変わりながら、互いに切磋琢磨したり助け合ったりして成長してゆくのだという。しかも、ワイス博士は、養子縁組をした親子についても、数多くの退行催眠の結果から興味深い事実を発見している。

 「過去生への退行は、養子縁組をした家族に朗報をもたらすことがある。彼らは互いに血はつながっていなくても、魂のつながりは血よりも濃いということを示してくれる。私は、養子と養父母の間だの縁の方が、実の親子の間の縁よりも深いという事実を示す退行催眠を、何度も体験した。養子のいる家族全員に退行催眠を行ってみると、彼らは過去生でもお互いの存在を認め合うことが多い。親子関係になると運命づけられているのに、実の子として生まれてくる道が閉ざされている場合には、そのための他の道を見つけるようである。養子・養父母の関係は、決して偶然ではない。」

 さらに、ワイス博士の研究では、ある段階まで成長した魂が、もう自分の成長のために生まれ変わる必要がなくなることもわかっている。これらの発達した魂は、今度は他人を助けるために自ら志願して生まれ変わるか、あるいは魂のままでとどまって、あの世から様々な方法でこの世の人々を助けるか、どちらかを選ぶことができるのだという。

 一方、ソウル・メイトの重要性については、薬物投与で被験者を退行させる方法を編み出した、スタニスラフ・グロフ博士も指摘している。長期間の難しい敵対関係に巻き込まれて困っていた人物に退行療法を施した経験を、グロフ博士は次のように述べる。

 「過去生の体験をしているとき、彼はその敵対者が、遠い昔、一緒に生きていた時代に、自分を殺した人物だということを知った。過去の中に入り込んで、その罪を許した瞬間、彼はその敵対者に対する現在の人生における気持ちが変わるのを体験した。昔の敵意や怖れが一瞬にして消え、今までとは違う角度からその人物を見るようになったのである。この変化が生じているとき、そのかつての敵も、同時に、しかし別個に、地球の反対側で似たような個人的体験をして、同じ方向に変容していた。ほぼ同じ時期に、2人の人間が2人とも、基本的な見方を変える体験をして、それまで敵意に満ちていた両者の関係が癒されたのである。例は、私の治療では珍しいことではない。因果関係で結びついたパートナーが劇的な変化を体験し、過去のくびきから解放され、長い長い年月に渡って存在した古い傷を癒すのを、私は何度も見てきた。こうした態度の変化は、当人たちが何千マイルも隔たったところにいて、彼らの間に直接的なコミュニケーションが何もない状態であっても、互いに数分も違わない間に起こったのである。」

 このように「生まれ変わり」の諸研究からは、ソウル・メイト同士の切磋琢磨や、許し合うことを学ぶ必要性が明らかにされている。これらの深遠な仕組みを目にするとき、私は、精神分析学の世界的権威であるエーリッヒ・フロムが、著書『愛するということ』(The Art of Loving)において結論づけた、次の言葉を思い出さずに入られない。

 「愛とは本質的に、意志に基づいた行為であるべきだ。自分の全人生を相手の人生に賭けようという、決断の行為であるべきだ。実は、ひとたび結婚したら絶対に別れてはならないと言う考え方の背景にあるのは、この理論である。誰かを愛するというのは、単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もしも、愛が単なる感情にすぎないとすれば、『あなたを永遠に愛します』という約束には、何の根拠もないことになる。感情は生まれ、また消えてゆくからだ。」

 「しばしば見受けられるのが、『愛があれば絶対に対立など生じない』という幻想である。2人の人間の間に生じる真の対立、すなわち内的現実の奥底で体験されるような対立は、決して破壊的なものではない。そのような対立は必ず解決され、カタルシスをもたらし、それによって2人は、より豊かな知識と能力を得ることができる。そのような経験に基づく愛は、絶え間ない挑戦である。それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業なのである。」

 ソウル・メイトたち、なかでも妻や夫として何度も転生を繰り返している相手は、互いに切磋琢磨できる最高の相手だからこそ、時には両者の間に、解決すべき大きな課題を課して生まれてくることもある。その時、「対立するようでは夫婦としてやっていけない」と考えるのではなく、「課題があるからこそ夫婦である」と考え、フロムが言うように、「この人を絶対に愛するという強靭な意志」に支えられた「共同作業」としての課題解決を心がければ、今回この世に生まれてきた大きな目的を果たすことができるだろう。精神分析学に基づいたフロムの主張は、「生まれ変わり」の仕組みに関する研究結果を知ることによって、更にその説得力を増すのである。

 


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