最終回再録

「IBCトップ40」さようなら特集 (ごご1時〜5時30分)

パーソナリティーは江幡平三郎、戸田信子両アナウンサー

当初公開放送の予定ではありませんでしたが、当日急遽公開になり、スタジオ公開当時の雰囲気の中での放送となりました
(当時のラジオ第2スタジオ、現在の第4スタジオから放送)。

13:00番組開始

おたより

“番組は終わっても、思い出は永遠につづきます”

“番組本がでるとき、自分のハガキが載ってるかなあと楽しみにして買いにいきました。番組本は今も大切な宝です”

タイトルコール 「IBCトップ40」! テーマ曲「自由に歩いて愛して(インスト)」

歴代DJ(アナウンサー)紹介 <トップ40研究会内担当DJ(アナウンサー)年表>参照

今日の出演者紹介

茨城からいらっしゃった玉井明子さん

樋田由美子さん 「川崎からきました。このスタジオ15年ぶりです」

神山浩樹アナウンサー 「盛岡からきました」

菊池幸見アナウンサー

大塚富夫アナウンサー

千輝順子さん

戸田信子アナ「おふたり(大塚アナ、千輝さん)を見ていると、25年スタジオにいる“ヌシ”のようですね」と、早くものびのびノブリントーク。

13:15ごろ

大塚アナ、千輝さん時代のハガキを紹介

公開放送やテレビで観たおふたりの感想や命を大切にしてほしいといった内容

13:30ごろ

ヒット・チャート・クイズ第1ラウンド

「IBCトップ40」第1回のヒット・リサーチの1位は?

 

正解 「花とみつばち」郷 ひろみ O.A.

 

「IBCトップ40」第1回 1974年(昭和49年)4月14日のヒット・リサーチ・ベスト10

順位

●タイトル

●アーティスト

花とみつばち

郷 ひろみ

なみだの操

殿さまキングス

薔薇の鎖

西城秀樹

学園天国

フィンガー5

星に願いを

アグネス・チャン

三色すみれ

桜田淳子

あなた

小坂明子

幸せの一番星

浅田美代子

春風のいたずら

山口百恵

10

母に捧げるバラード

海援隊

 

13:40ごろ

当時の人気コーナーだった、大塚・千輝物語(リスナーの創作によるドラマ)から「滅びの歌」放送

注:タイトルの正確な表記は不明です。

 

ヒット・チャート・クイズ第2ラウンド

番組スタートから5年後、1979年(昭和54年)4月8日の1位は?

大塚アナから出されたヒントは「“私”(大塚さん自身)をあらわしている曲名」

それに対して寄せられた「おやじの海」、「アンパンマン」という答えにスタジオ爆笑

そして正解は「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(西城秀樹)でした(え〜っ!?)。

「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」西城秀樹 O.A.

 

「IBCトップ40」 1979年(昭和54年)4月8日のヒット・リサーチ ベスト10

順位

●タイトル

●アーティスト

YOUNG MAN(Y.M.C.A.)

西城秀樹

松山千春

夢追い酒

渥美二郎

美・サイレント

山口百恵

ジパング

ピンク・レディー

ビューティフル・ネーム

ゴダイゴ

北国の春

千 昌夫

HERO(ヒーローになる時、それは今)

甲斐バンド

魅せられて

ジュディ・オング

10

カサブランカ・ダンディ

沢田研二

 

14:00ごろ

「IBCトップ40」は1985年までスタジオ公開でした。番組初期にスタジオに100週連続通いつづけた伝説のリスナー 、ペンネーム“ドケチくん”に大塚アナがインタビューした模様を放送。

当時小学6年生で、音楽の話題についていくには「トップ40」だ!ということで友達とスタジオに通いはじめたのがキッカケだそうです。

「「トップ40」は岩手のアーティストがよくチャートインしていた。N.S.P、飛行船、あんべ(光俊)さんなど「トップ40」で知った。」 「「トップ40」は青春の1ページ」

その後、仙台と福島に住んでいたころ、日曜日に盛岡から帰るクルマの中で「トップ40」を聴くたびに「かならず岩手に戻ってきたいと思った」

など番組の印象や思い出を話してくださいました。

 

菊池幸見アナ(あらためて)登場

「(「トップ40」は)受験生リスナーだった。雑音まじりのなか聴いていた(注)。ヒットチャートクイズで電話がつながり大塚さんと話したことがあるが、不正解だったので「残念でした」だけしか印象に残っていない。」と学生時代ふりかえっていました。

その後IBCに入社し、「トップ40」を担当するにあたって思ったことは

「大塚・千輝コンビのイメージが大きかった」

「俺の代で終わらせたくないという思いだった」

大塚さん 「戸田・江幡コンビで(トップ40は)終わってしまうわけですね」

(一同笑)

注:菊池幸見アナの生まれた岩手県遠野市の一部はIBCラジオが入りにくい所です。

 

音楽プロデューサー高橋 研さんと電話がつながる。

研さんと千輝さんひさしぶりの会話で盛り上がる。研さんの住んでいるマンションの改修工事が終了し、午前中竣工式があり、お酒を飲んでいたとか (研さんはマンションの自治会長)。

「トップ40」について

「「トップ40」って74年(昭和49年)スタートだから俺が岩手にいたころってまだ始まってなかったんだけど、自分が聴いていたIBCラジオの日曜午後の番組は深夜放送のように自由な感じがしていて、(「トップ40」も)その流れをくんでいたから岩手にいたころから「トップ40」を聴いていたような気がしていた」

「(「トップ40」に)ゲストで出るたび“岩手ではこんなのが流行っているのか”など教えてくれた。岩手に帰るとアマチュアに戻って“いま岩手で何が1位? エッ?これ東京じゃ13位だよ”とか、プロとしてより一音楽ファンとしての接し方が大きかった」

「全国的にヒットしているものも伝えながら、新しい、地域に根ざしているものを創ってきたのが「トップ40」なので、これからもメジャーとマイナーのちょうどいいバランスで音楽を創っていく(伝えていく)番組がつづいてほしい」

 

番組の思い出、終了を惜しむおたより紹介(千輝さん)

リクエスト曲「嫁に来ないか」新沼謙治 O.A.

放送中に届いた電話、ファクス紹介(江幡アナ、戸田アナ)

 

=============================================================================================

千輝さん最後の担当となった1984年(昭和59年)4月1日の放送から、オープニング〜ヒットチャートクイズまでを放送(カセットテープの 回転数が若干速かった)

「喝!」シブがき隊 O.A.

この日の放送は春の選抜高校野球中継(大船渡高校)が入ったため遅れてスタートし、途中三陸鉄道の開業記念の特別番組や競馬中継などがあるためあわただしい進行のようでした。

=============================================================================================

 

生放送に戻る。

リスナーだったころの思い出

菊池アナ 「(聴いているだけで)ハガキを出したことはなかった」

神山アナ 「中学生ぐらいのころ、花巻デパート(当時)で「トップ40」の公開放送があった。友達に行こうと誘われたが、「なんか、しょすくて(はずかしくて)行けなかった」

 

大塚さん「エンドー・ミュージック・ショーウィンドウ」の思い出を語る。

TBCラジオと同じくエンドーチェーン提供によるサテライト・スタジオ公開生番組。

 

=============================================================================================

ふたたび千輝さん最後の担当1984年(昭和59年)4月1日の放送から

<母に捧げるクイズ>の部分を流す

正解曲「愛のさざなみ」島倉千代子 O.A.

なつかしのジングル(サウンドロゴ)♪ア〜イビーシー トップフォ〜ティ〜〜(by EPO)

=============================================================================================

 

生放送に戻る。

大塚アナ 「<母に捧げるクイズ>は出題曲を子供が知らなくても母親や父親が知っていることで親子の会話(コミュニケーション)に役立つコーナーだった」

また、大塚アナはあるとき学校の先生に「「トップ40」は子供(生徒)たちが考えていることを知ることができる番組」といわれたことが印象深いとも。

 

音楽評論家の伊藤政則さんと電話がつながる。

「トップ40」終了について

政則さん 「学生時代、IBCでバイトしていたころ下地(前身)の番組から知っているから感慨深い。」 

戸田アナ 「IBCでバイトなさっていたころは過激なファッションだったそうですね。黒い爪に黒い口紅でしたっけ?」

政則さん 「誰が言ったの!たしかにグラムロックとかの影響で黒いマニキュアはしてたけど口紅はしてないよ!」

「「トップ40」が終わるってどうゆうことか(リスナーは)わかんないかもしれないけど、そのことは失ってみてわかるんだよ。始まりがあれば終わりがあるって放送業界の人は言うけど、何百年とはいわないがずっとつづいてる番組だってある。」 

「「トップ40」を通じて音楽、あるいは音楽以外、局アナ、DJさんが言ったひとことひとことって実は以外にリスナーって覚えてるもんなんですよ。あるときフッとその言葉が感性に浮かび上がると思うんだけど、そのことを大事に音楽と向き合ってほしい」

「(物事において)年齢はまったく関係ない。年齢は年輪ともいえる」

などなどメッセージしてくださいました。

15:00

岩手日報IBCニュース

15:05ごろ

放送中に届いた電話、ファクス紹介

“戸田さんがアルフィーへのインタビューで突然いじめ問題について質問したのが印象的でした('85年)”

戸田アナ 「アルフィーのメンバーには(質問が突然すぎて)怒られた。でも北口さん(注)には社会性があるとほめられた」と自己フォロー。

注:北口惇夫さん「IBCトップ40」のプロデューサー兼ディレクター。'97年逝去。IBCトップ40って?のページ参照

番組のリスナーだった歌手の大沢桃子さん(大船渡出身)から終了を惜しむファクスが届く。

リスナーさんのリクエスト「贈る言葉」海援隊 O.A.

大塚アナ 「「トップ40」の過去のテープって(IBCにも)あまり残っていない」

 

=============================================================================================

千輝さん最後の担当1984年(昭和59年)4月1日の放送から

ベスト10の5位から

「もしも明日が」わらべ O.A.

4位のイントロで読むハガキを千輝さん涙で読めず、大塚さんが代わりに読む。

「ROCK'N ROUGE」松田聖子 O.A.

「星空のディスタンス」アルフィー O.A.

「ワインレッドの心」安全地帯 O.A.

「涙のリクエスト」チェッカーズ O.A.

エンディング

ペンネーム・ドケチくんのおたより

BGM:「さよなら」(オフコースの曲のインスト)〜「さようなら」N.S.P

=============================================================================================

 

生放送にもどる

千輝さん「あらためてあの時(自分の最終回)のお礼がいいたい」

電話、ファクス紹介

“<気になるあの子>のバックで流れていた曲名が知りたい”

“戸田さんが石川さゆりの「天城越え」をてんじょうごえと読み間違えたのが面白かった”

“神山さん担当のころの幻のコーナー、<さいかちくんありがとう>や、IBCまつりの抽選会で神山さんの母親が当選して「かあさん、やったよ!」と神山さんが叫んだのが思い出”

 

樋田由美子さんについて大塚アナは「ハガキをなくす達人だった」

当の樋田さんは「あまり思い出がない…」

大塚アナ 「樋田さんは自分の最終回のとき花束いっぱいだったのも覚えていないんです(笑)」

大塚アナ、樋田さんで<気になるあの子>を当時のハガキで再現

BGM:ミッシェル・ベルナルク「ロレッタの家」

 

題名のないハガキコーナーを当時のおたよりで再現(大塚アナ)

いじめが原因で自殺した友人にあてたもの(長文)

BGM:ジョージ・ウィンストン「Longing/Love」

16:05

<バースデー・ミュージック・プレゼント>

「無援坂」グレープ O.A.

 

番組本<青春まっさかり 大塚 千輝のトップ40>から、当時N.S.Pのメンバーだった天野 滋さんが書いた「椅子を3つだけ多く」を千輝さんが朗読。

水沢の古本屋で購入
(IBCトップ40編「青春まっさかり・大塚 千輝のトップ40」1979年 地方公論社)
※管理人は1987年8月に岩手県水沢市の古本店で購入

そしてその天野 滋さんが電話で登場。

天野さん 「千輝さん声が変わってないね。東京にいるんだったら電話くださいよ」

大塚アナ 「天野くんはIBCラジオの常連リスナーで、その当時から北口さんが注目していたんだよね」

天野さん 「「ライダースジャンプ」とか聴いていました。」

「トップ40」について

天野さん 「岩手に帰るとよく(ゲストで)出していただきました。「八十八夜」を歌ったのが思い出です。(終了は)残念ですね。昔から残っている番組って 「トップ40」ぐらいなので」

大塚アナ 「昔から残っているのには「民謡まわり舞台」もありますから(笑)」

天野さん 「(爆笑)それは僕とはちょっとちがう世界(ジャンル)のところですから」

大塚アナ 「ま、いずれそこ(「民謡まわり舞台」)にも出ていただければと。いつの日か(笑)」

天野さん 「(「トップ40」は)長寿番組でしたからね。残念ですね」

大塚さん 「天野くんから終了が残念と言われるとひとしおだね。N.S.P同様、(「トップ40」終了は)発展的解消ということでね。これからつづく番組の礎になるんじゃないかな」

 

電話、ファクス紹介 江幡アナ、戸田アナ、樋田さん

“「トップ40」はずっと終わらないと思っていました”

“あんべさんの一関でのライヴ行きました”

あんべ光俊さんと電話つながる。

大塚アナ 「「トップ40」は今日で終わりです」

あんべさん 「困りましたね、それは」

樋田さん 「私の結婚式に歌とお祝いのメッセージテープありがとうございました」

大塚アナ 「あんべくんは出席できなかったの?」

樋田さん 「いえ、お呼びしなかったんです。この次はお呼びします」(一同笑)

大塚アナ 「さっき高橋 研くんとか天野くんに出てもらって、千輝さんも東京に住んでいるんだったら今度会わないかということで」

あんべさん 「同窓会やりましょう」

大塚アナ 「その件に関してはどうですか?」

あんべさん 「僕が仕切ることになります」(スタジオ内・笑)

大塚アナ 「研くんの話しとはえらいちがいで、“あんべはその場しのぎで話すからわかんないよ”って」

あんべさん 「あははは」

大塚アナ 「みなさん「トップ40」に出ていただいて、あんべくんなんか特にそうなんだけど、岩手を背負って仕事している人が東京でたまに会ったりして、音楽談義してるのってうれしいよね」

あんべさん 「そうですね。「トップ40」を通じた仲間というのは言えますね。」

大塚アナ 「番組は終わってしまうけど人と人とのつながりはつづくね」

 

あんべさんが担当されたインターハイのマスゲームの音楽の話題に。

大塚アナ 「これは歌詞がついてるの?」

あんべさん「ワンコーラスだけ。」

大塚さん 「あんべくんが歌ってるの?」

あんべさん 「秘密です。女性が歌ってます。高橋 研じゃないよ(笑)」

大塚アナ 「「トップ40」終了にあたってリスナーへ」

あんべさん 「「遠野物語」のキャンペーンの帰り、休憩に立ち寄った田沢湖の茶店のラジオから「遠野物語」が流れていて、自分たちの作品をはじめてラジオで聴いたのが「トップ40」で、心が躍るような、その印象がずっとありますね。「トップ40」に育てられたという思いがあります…。でもあれでしょ。来週から「なつかしのトップ40」って毎週やるんでしょ?(笑)」

大塚アナ 「25年をさかのぼっていくという」

あんべさん 「それいいな(笑)」

 

“「トップ40」といえばこの曲を思い浮かべます”

というリスナーさんからのリクエストで「星の旅」あんべ光俊 O.A.

 

おたより紹介

“親から子へバトンタッチされた名物番組なんてそうないと思います”

“水沢での公開放送(三春屋デパート屋上)でこの世の終わりかと思うような嵐が来た(注)

注:この嵐で放送中の戸田さんは雨でびしょぬれになり、水色の下着が透けてしまったいわゆる“水色ブラ事件”が発生

大塚アナ 「(透けた水色のブラを)これでもか!と見せつけていましたね」

戸田アナ 「マスプロアンテナのCMみたいに(笑)」

スタジオ内から「古い〜」とツッコミが

戸田アナ 「古い?(笑)」

大塚アナ 「♪見えすぎちゃって困るの〜」

 

大塚アナ 「昭和60年4月 第一次戸田政権誕生!」

大塚アナ 「私と菊池アナと佐藤宏邦アナがお相手させていただきました」

戸田アナ 「どれも好み(のタイプ)じゃないので仕事やりやすかった(笑)」

菊池アナ 「なんのこっちゃ」

当時のおたよりから

“久慈の公開放送のとき、2人(大塚さん戸田さん)で交互にビンボーゆすりしてた”

“戸田さんが「スキップ・ビート」(KUWATA BAND)を口ずさんでいたので金縛りになった”

菊池アナ 「公開放送ではいろんなことが起きますが、戸田さんのときは特に摩訶不思議なことが起きますね。人はそれを《禁ノブ現象 》(注)と呼ぶ・・・」

注:《禁ノブ》(禁じられたノブコ)とは、戸田アナが普段の放送中や1985年の「ラジソン」で巻き起こした数々の出来事から、当時放映していた テレビドラマのタイトルをもじって菊池アナが命名したと記憶しています。

BGM:「トワイライト・ゾーンのテーマ」(♪タラリラタラリラタラリラ〜)

当時のハガキから

“戸田さんのインタビュー、どこがおかしいの?アルフィーのインタビューでいじめのこと訊いて何がおかしいの?わたし、フツーだと思うけど。そうかわたしと戸田さんの頭の構造って同じなんだ。 わたしもトワイライト・ゾーン?”

“大塚さんはゲストに「どうぞどうぞ」というのに、戸田さんは「いらっしゃい!」戸田さん八百屋さんになるの?だったらオトミ(大塚さん)はチャルメラ屋ね(注)

注:当時大塚さんがチャルメラおじさんに似ていると話題になる。

菊池アナ 「しかしあらためて(当時の)ハガキのあて先見てみると“IBCトップ40・禁じられたノブコ係”って凄いですね。」

戸田アナ 「(笑)凄いコワいネーミングでしたね。しかし(数々のエピソードも)今思えばフツーのことですね。」

菊池アナ 「いえいえ(とんでもない!)」

戸田アナ 「時代を先取りしていたのではないかと」

 

16:50ごろ

菊池アナ 「じゃあヒット・チャート・クイズいきますか」

戸田アナ 「(いきなり)ヒット・チャート・クイズ第3ラウンドー!」

菊池アナ 「最初にこれ(チャート紹介)いったほういいんじゃないですか」

戸田アナ 「あっそうか(笑)ゴメンゴメンゴメン。(気を取り直して)昭和62年9月6日のヒット・リサーチ10位、杉山清貴「'shade'」、9位・・・「ノ・レ・な・いTeen-age」・・・あら 、ここアーティスト名書いていないんですけど。誰でしたっけ。クイズじゃないのに」

菊池アナ 「「ノ・レ・な・いTeen-age」って誰?」

ズタジオ内の人が“酒井法子”と答える

菊池アナ 「さすが」

戸田アナ 「さすがリスナー」

大塚アナ 「あのー、酒井法子です」 (スタジオ内笑)

戸田アナ 「(笑)おそいですよもう」

そして2位まで読み上げ

ポンッポポンポン・ポンポン(ヒット・チャート・クイズの合図である小さな木魚を叩いた音)

菊池アナ 「ヒット・チャート・クイズ第3ラウンド」

戸田アナ 「昭和62年9月6日の1位を当ててください」

 

正解 「50/50(フィフティー・フィフティー)」中山美穂 曲O.A.ナシ

 

「IBCトップ40」 1987年(昭和62年)9月6日(注)のヒット・リサーチ ベスト10

順位

●タイトル

●アーティスト

50/50 フィフティー・フィフティー 中山美穂

MARIONETTE BOØWY

北の旅人 石原裕次郎

君だけに 少年隊

STAR LIGHT 光GENJI

輝きながら・・・ 徳永英明

あなたを知りたい うしろ髪ひかれ隊

禁断のテレパシー 工藤静香

ノ・レ・な・いTeen-age 酒井法子

10

'shade' (NATSU NO KAGERI) SPECIAL REMIX VERSION 杉山清貴
 
注:上記のベスト10は1987年9月6日付と紹介されましたが、当方の記録していたデータでは、10位を除いて9月13日付の順位と同じで した(13日の10位は菊池桃子「Nile in Blue」)。杉山清貴「'shade'」は9月6日と9月20日に10位。
 

姫神星吉昭さんと電話がつながる

戸田アナ 「星さんにとって「トップ40」とは?」

星さん 「今から18年前、「奥の細道」が3位(注)までいったことで大きな力をいただいて、今があるので、お世話になった 「トップ40」です」

注:IBCヒット・リサーチにおいて。リクエストでは数週間にわたって1位を獲得。

戸田アナ 「姫神(当時は姫神せんせいしょん)のオリジナリティーのある曲が3位まで上がったのは画期的で斬新なことでしたよね」

星さん 「「奥の細道」はインスト(インストゥルメンタル:歌詞のない演奏だけの曲)で3位になったのはビックリしました。ベンチャーズ以来ではないでしょうか。アルバムではありますが、シングルではめずらしい。3位になったことで、アルバム制作のお話が来ました。同じ頃には「ルビーの指環」(寺尾 聰)や「長い夜」(松山千春)がチャートインしていました」

戸田アナ 「(星さんは)いつも時代の先の音楽を演ってらっしゃいましたが、今、時代とマッチしてきましたね」

星さん 「民族音楽を演るのは、当時は古い感じがするが、恥ずかしがらずにやりなさいと当時のキャニオンのプロデューサーに言われまして」

戸田さん 「トップ40最終回にあたって」

星さん 「ときどき聴いていました。クルマに乗ってることが多く、ラジオのスイッチをいれると(「トップ40」を)やっていたんですが、番組で紹介されるハガキを聴いていると、私とリスナーの世代の世代はちがいますが、青春時代に思ったり感じたりすることはいつも同じだなと。ハガキの一節を聴いて思い当たることがたくさんありました。

 岩手の中ではIBCがキーステーションとなってアットホームな家族的気分を共有していました。「トップ40」はなくなりますが、またそれにかわるようなこういう場を、若い人が青春時代のいい思い出をつくれるいい音楽番組をつくってほしい」

 

おたより

“玉井さん(最終回に)来るとは思わなかった。よっぽど不況なんですね”

玉井さんの近況。「最近ちょっと太った(本人談)」そうですが、ご懐妊ではないそうです。大好きなベトナムについても勉強中で、最近2度も行ってこられたとか。

「トップ40」を担当してくださいといわれたときは、「他の番組以上に本当にうれしかった。」

担当していたころについて

神山アナ 「年下のリスナーからも教えられることもあった」

電話、ファクス紹介

“中学のころから聴いていました。結婚しておばさんになっても楽しい番組

“中学のころ聴いていたのが20年前。ふたたび聴いたのは2年前。パーソナリティーも替わり、自分の考えも変わったが、ラジオと音楽が好きな純粋な気持ちは今も昔も変わりません”

“年代を気にせず楽しめるのがGOODでした。新番組も期待しています”

“20年聴いていました。IBCが続く限りずっと続くと思っていました。新番組も楽しい番組でありますように”

 

17:20ころ

江幡アナ 「戸田さん、一度東京へ行って、岩手にもどってきて、今度は東京より遠いところへいってしまうそうですね」

戸田アナ 「一度岩手を離れることになりました。みなさんどうもお世話になりました。ルーツである岩手にこだわりつづけて(東京へいって)離れながらもどこか思いがつのってまして・・・

 ※「このすばらしき世界〜What a Wonderful World」(ルイ・アームストロング)が流れる

「わっ、いい曲ですね。これは泣かせようとしてますね。

いずれにしても放送ということ、ふるさとということ、この2つとは完全に健全な状態で一生かかわっていきたいと思います。海外で勉強してまいります。予定では戻ってくるつもりですが、人生どうなるかわからないので、これっきりだったらゴメンなさい。でもまた戻ってきて、みなさんとテレビ、ラジオでお会いできればと」

江幡アナ 「帰ってきたら本でも書くんでしょうか」

戸田アナ 「この「What a Wonderful World」のように、こんな世の中ですが世の中ステキだなと。所属は地球ということで(笑)。 」

パーソナリティーのみなさんから

大塚アナ 「「トップ40」に育てられたというおたよりがありましたが、私も「トップ40」に育てられたひとりです。この番組に関われたことを誇りにします。」

玉井さん 「こんなにもたくさんの人に永いあいだ愛された番組に立ち会えた、その歴史の一部になれたことがうれしいです。ありがとう。」

江幡アナ 「みなさんのこころの中に「トップ40」が生きてきたのだなと実感しました。これからもその思い出を残し、これからのIBCにご期待ください。」

戸田アナ 「本当にどうもありがとう。二度にわたって担当させていただきました。どんなことがあっても、この世の中とってもステキなんだな、自分が自分らしくないと人生意味がないんだなと実感しています。みなさんもひとりひとり元気で、ステキな人生を歩んでください。またお会いできたら幸せです。」

神山アナ 「本当にみなさんどうもありがとうございます。これからもIBCをよろしくおねがいします。いっしょに力強く歩いていきましょう。」

樋田さん 「25分の1ですが、この番組に関わることができて本当に幸せだったと思います。みなさんありがとうございました。」

菊池アナ 「岩手に生まれ育った自分にとって、「トップ40」を担当したことは一生自慢できることだと思います。」

千輝さん 「岩手に行くと「トップ40」があるんだなと思っていましたが、なくなると思うとさびしいです。」

 

大塚アナ 「(きょうの最終回は)いろんな人間がたずさわって、若いディレクターから年輩のディレクターまで、いろんなところからいろんなものをひっぱりだしてきて手作りで作り上げてきたという感じで。わりとながされがちな番組制作ですが、 久々に“あーでもない、こーでもない。こうしたらいい…” 私はあまり関わらなかったが、スタッフの人たちが一生懸命やってくれてうれしかった。
また来週最終回やろうか(笑)。

新番組は「(音楽番付)ザ・ランキング」ということで、わりと「トップ40」が培ってきたものを引き継いでいくんじゃないかと。」

戸田アナ 「直接ファクスを寄せられない、ただ聴いているだけの人の声を聞いたような気がします。みなさんどうもありがとう。」

「卒 業」 尾崎 豊 O.A.

「卒 業」をBGMにおたより

“わたしが聴いていたころ(「卒 業」が)よく流れていました。新しい番組も期待しています。

大塚アナ 「1999年、平成11年3月28日

最終回、第1299回の「トップ40」を終わります。さようなら。」

一同「さようなら」

17:29終了

 

この再録は完全ではありません。おたより、出演者の発言のなかから一部を要約して掲載してあります。


最終回のヒットチャートクイズ(第3ラウンド)でいただいたサイン色紙

wpe93317.gif (139448 バイト)wpe75899.gif (99865 バイト)

大塚富夫アナ 千輝順子さん
樋田由美子さん
戸田信子アナ
神山浩樹アナ・菊池幸見アナ・江幡平三郎アナ
玉井明子さん

 

前のページへ戻るときははブラウザのボタンでおねがいします。