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「IBCトップ40」って? 2003.1修正


 
IBCラジオによせられた電話、はがきのリクエスト集計と
県内有名レコード店のレコード売上げをもとに
IBCレコード室が今週の歌謡曲のランクを決めるIBCヒット・リサーチ

今週のヒット・リサーチ40位から1位までもれなくそのランクを発表する
「IBCトップ40」―――
 
 オープニング・テーマにのせてこの前口上ではじまる「IBCトップ40」は、IBCラジオ日曜午後 の人気番組でした。

 ランキングを40位から発表し、曲やはがき(おたより)を紹介するかたちが基本ですが、曲の合間にはがきを紹介するというよりも、 はがきの合間に曲をかけるといってもよく、番組もタイトルコールより前にリスナーのはがき紹介からスタートし、長いときには10分以上費やすことも。

 はがきの内容は身近な話題やアーティストの応援から、受験、友情、恋愛、いじめといったものまで、リスナーの抱えている様々な事柄 に及びました。日曜午後という時間帯の番組でありながら深刻な内容のものでも避けることなく真正面から受け止めていました。

 トークではDJ(パーソナリティー)の絶妙なかけあいがとびだして楽しませる反面、はがきを読むときはコメントをはさまず読むことに 徹していました。トークの面白さと、どんなはがきも受け入れ真面目に紹介する姿勢が信頼を生み長い間リスナーに支持された理由だと思います。

 深夜放送や夜ワイドのような面を持ち、単純にチャート番組とは括れませんでしたが、IBC独自のチャートをはじめ、ゲストコーナー、ニューシングル の紹介など番組の“本分”ももちろんしっかりしていました。

 IBC、なかでも「トップ40」は岩手出身の歌手を大事にし応援していました。「トップ40」では上位10曲と初登場曲等をかけ、チャート・ インしている曲すべてをオンエアできませんでしたが、岩手出身の歌手の曲はチャートインしているあいだほぼ毎週流れていました。私が聴き始めた ころ、N.S.Pやあんべ光俊さん、新沼謙治さんの曲がよく流れていて、実際岩手出身の歌手へのリクエストが多かったのを憶えています。
また、岩手出身ではなくてもリスナーから自然にリクエストが集まることもあり、1978年から79年にかけて原田真二さん、1984年から85年にかけて 尾崎 豊さんへのリクエストが多く寄せられました。

 岩手県内各地での公開生放送も数多く行われ(多い年で1年に20回以上)、85年まではスタジオも公開されていたので、DJや放送の様子を 近くで見ることができました。行けなくてもラジオから伝わってくる公開放送の場やスタジオの独特の雰囲気は聴いているだけでも楽しめたという人も 多いのではないでしょうか。

 中高生リスナーが中心ながらも幅広い年齢層からはがきがとどいていました。25年も続いたので、しばらく聴いていなかったけどまた聴き 始めましたというかたや、番組初期に聴いていたかたたちの子供の世代も聴き始めたという例も多かったようです。

 長年リスナーに親しまれた「IBCトップ40」でしたが、日曜日の生活スタイルの変化やヒット曲、ヒット・チャートへの関心の低下、AM ラジオのチャート番組終了または縮小という全国的な流れにIBCものまれるかたちで残念ながら終了となりました。

 
IBCトップ40 1974年(昭和49年)4月から1999年(平成11年)3月まで1299回放送。
 
アメリカのラジオ番組「AMERICAN TOP40(全米TOP40)」からタイトルをとったのは、「トップ40」の プロデューサー&ディレクターだった北口惇夫氏が1973年にJRN(ジャパン・ラジオ・ネットワーク) チームの一員として渡米しアメリカ研修したことや、少しでも多くの曲を紹介したいという考えがあったからかもしれません。
 
本家「全米TOP40」は、日本では1972年にラジオ関東(現ラジオ日本)で放送を開始。
 
「トップ40」終了を伝える当サイト内<とっぴニュース>バックナンバー
 

 
日曜日の午後、このスタジオからもっともナウでもっともヒットのあの楽しいおしゃべり、あのミュージックが―――
1979年地方公論社刊「青春まっさかり大塚千輝のトップ40」(IBCトップ40編)冒頭、トップ40スタジオ訪問のページより
 
オープニング&エンディングテーマ曲
'74〜'84、'97〜'99 PYG 「自由に歩いて愛して」のインストゥルメンタル・ヴァージョン
'84〜'90 メゾフォルテ 「スプリング・フィーバー」
'90〜'97 増崎孝司 「CRUISE ON SUNSET」 (P/Nぱとれしあ熊五郎さんより情報いただきました。感謝)
 
「トップ40」のおもなコーナー紹介

ふつうのおたより以外のおたよりコーナー。番組側が募集したわけではなく自然発生的にできたコーナーが多いようです。

題名のないはがきコーナー(?〜'90ころまで)  本当に題名のないコーナーでした
誰かに伝えたい自分の思いを綴ったリスナーのはがき(時には封書による長文も)をDJが<読む>コーナー。
BGM:ジョージ・ウィンストン 「Longing/Love」(邦題「あこがれ/愛」)。

気になるあの子  これもタイトルというより通称といったほうがいいかもしれません
同じ学校や通学途中などでいつもみかける気になるひとへの告白やメッセージなど。
BGM:ミッシェル・ベルナルク 「ロレッタの家」

ポエム('90ころ〜)
これもタイトルではなく上記2つのコーナーを引き継いだ形で、ヒット・リサーチの曲をかけるときにイントロで読まれる、 リスナーの創作・実話を問わないはがきの総称です。

大塚・千輝物語(?〜'80年代前半)
初代DJ、大塚さん千輝さんを主人公にしたリスナーの創作によるラジオ・ドラマ、短編小説的な作品をDJのふたりが演じるコーナー。そのとき ヒットしている曲をモチーフにしたものなど、コメディーからシリアス、SFまで。

ベスト3予想人('84ごろ〜'99)
もともとはベスト3を予想するだけのハガキクイズだったのが、順位予想以外にふつうのおたよりや他のはがきコーナーとは違う個性的なネタ を書いてくる人が増え、いつのまにかコーナーになってしまいました。正解者の中から抽選でLP〜CDアルバム。

ほかに、卒業シーズン限定の“GRADUATION PHOTOGRAPH”、“桜の花の咲く頃に”('90年代前半〜中ごろ)

 

 

ヒット・チャート・クイズ
ヒット・リサーチにチャートインした曲(おもに初登場曲)をリスナーに電話で当ててもらうコーナー。チャート発表の途中、DJが小型の木魚を叩く とこのクイズの合図。毎回条件があり、その条件に合う話ができる人に解答権がある。不正解の場合次の人に移る。時間がある限り正解がでるまで何人でも電話をつなぐ。第1ラウンドから数ラウンド出題。 正解者にシングル・レコード(EP〜CDシングル)。

母に捧げるクイズ(〜'87)
中高生リスナーの母親の世代におなじみのヒット曲のインスト盤(つまり歌のない歌謡曲)を流し、その元の曲を歌っ ている人を当てるはがきクイズ。母以外でも参加可。父母自身で応募したり、リスナーが自分の父母に答を聞いて応募したり、親子のコミュニケーション に役立つコーナーでした。賞品は番組が用意したシングル盤5枚。A〜Dの4コースから希望する。

虹とスニーカーの頃('88〜'91競馬中継がない期間限定)
過去にヒット・リサーチで1位を獲得した曲をヒントをもとに当てる電話クイズ。

ほかに、マニアックな曲のタイトルを電話で当てる、“クイズ・マニアキッズ”('92ごろ)、母に捧げるクイズの電話版的な “クイズ・お母さん手伝って”('93ごろ)など。

 

 

ゲスト・コーナー
IBCを訪れたアーティストへのインタビューや電話でのインタビュー。

今週のニューシングル
その名もズバリ新曲紹介コーナー。パート1からパート3まで3曲ほどスタッフが厳選。

ひとあじちがうリクエスト
チャートには入らないけど好きな曲、思い出の曲などエピソードなどそえてリクエストするコーナー。

音楽の達人('97〜'99)
岩手出身または在住の“達人”が週替わりで登場し、注目するアーティストの紹介や音楽の解説。

天野 滋(N.S.P/音楽プロデューサー) 

あんべ光俊(シンガー/ソングライター)

伊藤政則(音楽評論家) 

高橋 研(シンガー/音楽プロデューサー) 

星 吉昭(姫神/シンセサイザー奏者)

(敬称略50音順)

IBCヒット・リサーチ<IBCヒット・リサーチについて>参照
はがき、トークと並ぶ「トップ40」3本柱のひとつ。

ヒット・リサーチ国外シングル・チャート発表('88〜)&あの洋楽が聴きたい
'87年に消えた洋楽チャート番組に代わり、ヒット・リサーチから注目曲1曲とリスナーからのリクエスト1曲。

リクエスト最終結果
月曜日から日曜日(「トップ40」放送中まで)の一週間にIBCラジオ各番組によせられたリクエストを集計。売上げデータ比率 の高い<クール>なヒット・リサーチに対し、リスナーの意向が大きく反映された<ホット>なランキングといえます。電話リクエスト しめきり後、番組後半に上位30曲を1位から順位のみ紹介。翌週のヒット・リサーチのデータに。
TBSテレビ「ザ・ベストテン」が放送されていた時期は、リクエスト最終結果がIBCのデータとして送られ、前口上(このページの最初)のあとに

「お寄せいただいたリクエストはテレビ「ザ・ベストテン」へ送られ、皆様の意見を反映していきます」

と、つづきました。
当時「ザ・ベストテン」のラジオ・ベストテン情報や岩手からの中継に初代DJの千輝順子さんがIBCの“追っかけウーマン”として何度か登場していて、管理人が「IBCトップ40」を 知ったのも「ザ・ベストテン」でした。

ラッキーナンバー
番組冒頭で発表したラッキーナンバーと同じ順位の曲にリクエストした人の中から1名に賞品。
(例)ラッキーナンバーが3と発表されたら、その週のリクエスト最終結果の3位の曲にリクエストした人の中から抽選。

ほかに、“(隔週交替で)神山浩樹/伊藤美幸行ってきました!”、“さいかちくん、ありがとう”、“ドリームP”など('90〜'93ごろ)

 

 
「IBCトップ40」について書いてきましたが、管理人は番組開始6年目から聴き始めたため、それ以前のことは番組内での 話しや番組本などを参考にしています。また途中ブランクもあるため完全には番組の魅力を伝えきれていないと思いますが、その点はお許しください。
IBCトップ40最終回再録もごらんいただければもう少し伝わるかもしれません。
 

管理人:ペンネーム/気仙沼音楽選考委員会(略して気仙沼音選)

 

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