就職日記6 | ◆アナウンサー試験のカギは「作文」? ◆お恥ずかしい限りの学科試験のエピソードもご紹介 |
そろそろヤバイ?(95年8月) |
アナウンサー受験のピークはだいたい夏前まで。 確かに、各局の試験で残り10人以下という機会が増えた。 しかし、最後に「内定」をもらわなければ役に立たない。 あと一歩・・・やはりこの頃相当な焦りが。 そこで、この金がかかるアナウンサー受験に 理解をしてくれていたのが両親。 全国各地を回るため100万以上かかる。 蓄えのない私にとって、この両親の理解が無ければ 受験の続行は不可能。 この頃私はこの年の就職内定は半分あきらめ、 就職浪人を覚悟していた。 そうなると、親に改めてお願いをしなければ。 帰省した私は父に「もう1年受験をやらせてください。」 意を決してお願い。 ところが父は「そうくると思ってた。」 子供のことを見てないようで見てるな・・・参った・・・ この父の一言で「これは絶対内定を獲得せねば」 と改めて決意。もちろんあきらめず続行を決定。 |
しかし、放送局からの採用情報は激減(95年8月)
長崎、神戸・・・いずれの局もあと一歩で内定ならず。
この時点でもう後が無くなる。
全国を飛び回っていた7月までとは違い、
殆どアルバイトに明け暮れる。
私の周りでも、アナウンサーではなく
放送局のそのほかの職種に内定という友人も。
でも、親の言葉もありあきらめませんでした。
この時点で9月に運命の出会いがあるとは思ってもみなかった・・・