就職日記4   ◆好調でしたが、残念。
◆でも、仲間が増えて就職活動もつらいことばかりではありません。


  最終面接に、しかし・・・(95年6月)
初めて1次試験を通過した、富山の局。
順調に(?)最終面接まで到達。
これはいよいよか・・・
しかし、最終面接後届いた結果は「ご縁が無く」。
「やはり」。これが結果が分かったときの感想。
そう簡単にはいくわけないよな。
実はこの局は最終面接までやっておきながら
この年の内定者はなし。
一緒に受験していた受験者一同納得のいかない結果。
ただ、このおかげか(?)、今でも、この人達とは
交流があり、時々電話なんかしています。


  日本海キラー?(95年6月〜)
アナウンサー受験者の多くは、
どうしても、上に行けない局がある反面、
結構上まで行ける局があり、行ける局と行けない局には
それぞれのグループで共通項があるということ。
私の場合、日本海に面した局はすこぶる調子が良かった。
例えば、富山、福井、新潟、秋田など。
いずれも残り10人程度まで進む。
このほか、九州の局でも8割くらいは2次面接以上まで。
また、日○テレビ系の局も結構調子が良かった。
ただ、なかなか縁がない局のグループもあって
それは、テレビ朝日系。軒並み落とされていた。
しかし、その私がテレビ朝日系の局アナになるとは、
本当に不思議なものです。


  移動中が楽しい(95年6月〜)
この頃になると、アナウンサー受験の中心は地方。
スケジュールを組むのでさえ一苦労。
そして、各地の局で顔なじみができるのもこの頃。
私の場合、アナウンサーの専門学校にも行っていたので、
早くから、顔なじみがいたけど、
それ以外の顔なじみもたくさんできた。
それで、みんなアナウンサーを目指している人ばかりだから、
移動する交通機関も同じになったりして。
特に、試験が終わってからの移動は結構楽しかった。
地ビールなんか買って列車に乗って、
もう車内はちょっとした宴会に。
みんななかなか内定しない者同士。気が合うのでしょうか。
もちろん、このとき一緒だった人たちとも
まだ交流があります。



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