平成9年7月5日更新

 

ケセン歴史の道


今あなたが、

なにげなく走行している道にも、幾多の変遷の歴史があったことに気づいて欲しい。

道は「生き物」のように、

時代の流れと共に蛇行しながら現在の形に整えられてきた。

鉄道の開設、汽船の運行、交通機関の発達ばかりでなく、

津波や治山治水、経済効果などが絡み合って流れが変化した。

*このページは気仙「歴史の道」マップを参考にしています* 


 

***** はじめに *****

 

「長い道程の中で、どの時代の道を選ぶか」について

その目安となったのが精巧に描かれた「元禄絵図」である。

それより50年以前に作成した「正保絵図」や、

後の「文政絵図」を垂ね合わせてみても、遜色がないことから、

一里塚を基準として、

その周辺の史跡・文化財等を抄出することとした。

また、気仙の主要街迫については、

明治43年発行の「気仙郡誌」により次の五つの街道を掲載した。

この主要街道に接統する道には

綾里峠(九十九曲り)、茂志内峠、生出道、広田道、蕨峠等の

生活垂要交通路があり、

これらについては「その他の街道」として取りまとめた。

神社、寺、城跡、史跡寺については、

その時代の街道と深い関わりのあったもののみ掲載した。

海路については、

今泉、盛街迫の交通に大きな影響を及ぼしたことから、

街道に準じて掲載した。

「道の歴史」を知ることだけではなく「歴史の中の道」を考えることにある。

今回とりあげた道路以外にも、生活道として重要な道もあると思われるが、

それらについてはぜひ皆様方で。



戻 る    けせん歴史の道(街道)   一里塚について


黄金の国TOPへ戻る