軽米
タイトル

生涯学習社会の形成を目指して
〜いつでも、どこでも、だれとでも、”学びの心”いつまでも〜

 軽米町が「生涯学習の町」を宣言してから本年で10周年を迎えます。町では10周年記念事業として2月に「東北地区町づくり研究交流会」や「町づくりのつどい」、生涯学習講演会などを開き、今後の推進方策を探りました。事業の概要をお知らせします。

まちづくりのつどい
女性の実践活動を意見交換

 生涯学習の町宣言10周年記念大会が「生涯学習推進町づくりのつどい」が2月11日、農村環境改善センターで開かれました。基調講演では、全国生涯学習町づくり研究会代表で九州女子大学教授の福留強さんが「生涯学習で地域を変える」と題し、講演しました。
 福留さんは「生涯学習とは生活の向上、生きがいとなる自己の充実である。一人ひとりがいかに生き生きと生活できるかで、町づくりも変わってくる。町の光をあらためて勉強し、考え、つくってほしい」と話し、生涯学習に取り組む町民の意識で新しいまちづくりの展望が開けることを訴えました。
 シンポジウムでは元町生涯学習課長で、普代村教育長の中村利之さんがコーディネーターを努め、「女性の社会参加と町づくり」と題して意見交換しました。
 地域の生涯学習について研究している九州女子大学のサークル「卑弥呼」の川越文子さんと阿野ちなみさんは「全国の生涯学習の町を飛び回り、ニュースポーツ・ローンボウルズの指導をしたり、まちづくりリーダーや青年団、婦人団体と交流し、生涯学習の研究と実践を体験している。機関紙『卑弥呼』を発行しており、レポートをまとめ、事例集も出す予定だ」とエネルギッシュな活動を報告した。
 青森県名川町のチェリーセンター101人会の代表・川村綾子さんは「会は女性が地域活動や社会参加活動をしたい、所得を向上させたいということでスタートした。値段は自分が決めて販売するフリーマーケット方式。特産品研究会の要望で管理運営を自分たちでできるのなら、と産直施設が建設された。税所は人集めからすべてたい変だったが、今では年間売り上げは1億7千万円を超えている。宿泊施設『チェリウス』の整備や民泊施設の充実、サクランボ塾やお母さんを支援する会の結成など地域全体に波及効果を与えている」と話しました。

発想の転換 嘆くより前進
 「手作りかあちゃんの会」代表の寺澤真理子さんは「昭和60年のリンゴの価格暴落を契機に発足し、ヘルシー食品『ドライアップル』の開発に挑んだ。なにしろリンゴを作るのはプロだが、商品化するのは素人。ましてや販売なんて全く未知の世界。白く仕上がるには、パッケージは、などすべて手探り状態で勉強した。八戸や盛岡の物産展に足を運んでは売り込んだ。今では東京方面のお客が多い。今後は新しい商品を開発したいので、小さな工場がほしい。値段を自分たちが決められることで農業のイメージを変えた。だめだ、だめだと嘆くだけでは進歩がない。すばらしい仲間を信じ、話し合いながら前進することが大切だ」と強調しました。
 人形劇サークル「じゃんけんぽん」の千葉千賀さんは「第3土曜日に中央公民館童謡室でお話会『じゃんけんひろば』を開いている。紙芝居や絵本の読み聞かせ、人形劇、腹話術、影絵など多彩な内容となっている。人形劇フェスティバルは3回を数え、県内外の人形劇グループを招待して講演している。人形劇の講演は子供会の行事から太陽荘など施設の慰問まで幅広い。人形劇は制作から台本、音楽まで全部、メンバーによる手づくりだ。ゼロからのスタートで、形を作るのが楽しい。子供たちの反応は人形を操っている舞台裏までひしひしと伝わってくる。活動を続けていくには苦労も多いが、子供たちの笑顔を見れば吹っ飛んでしまう」と発表しました。

事例研究で指導者養成
 「東北地区生涯学習のまちづくり研究交流会」は2月10日、農村環境改善センターで開かれ、東北各地の自治体関係者ら70人が集まりました。福留強さんが「全国的動向と活性化手法」や「市町村における指導者育成事業」、「地域アニメーター養成制度を活用したまちづくり」について事例研究などを行いました。

声優の森さんが笑いの健康法を披露
 生涯学習講演会が2月2日、農村環境改善センターで開かれ、声優の森和美さんが「笑いと健康」と題して講演しました。(講演の内容は次の通りです)
 「笑うときはワッーと大きく笑うのがよい。白けたり、冷めたりしてはいけない。私は47歳のとき、膠原病にかかり、体のあちこちが痛みだした。治るのは500分の1の確率といわれた。アレルギー体質で薬りはダメ。せめて気持ちを和らげようと自分から笑うことにした。チャップリンの映画を観て笑ったら、寝付きが良くなった。さらにもっと笑ったら首や指が動くようになった。笑いの効果からか、2週間目に歩行可能になった。『脳内革命』ではないが、いい方に考える人にはいいホルモンが出るのではないか。生きがいはみかえりを求めてはいけない。自分のやっていることにほれるのがコツ。私は若いときから、老け役が多かったが、ふけるというのはワザがいる。『安達が原の鬼ばば』は台本を自分で集めて仕上げた。子供たちに伝承したかったからだ」