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スキー人気にかげりが・・・(2001.2.1)

 スキー・シーズン真っ盛りです。今年は、雪が豊富ですし、昨年の暮れからゲレンデが絶好調!!、雪質もサラサラで本当にベストコンディションなんですね。
 ところで、今シーズンは、
網張、雫石、八幡平リゾート、安比高原の各スキー場をひととおり滑ってみましたが、人が少ないのが気になりました。以前なら、日曜日や祭日などリフトの前に長蛇の列ができ、30分〜1時間待ちは当り前っだったのですが、大半のスキー場がガラガラの上、スキーヤーよりもボーダーの方が目立っているんです。
 それから、
リフトの一部を運転中止しているところも結構ありましたし、小さなスキー場は、営業そのものを止めたところさえあるんです。
 いこいの村にある
三森スキー場もそのひとつです。手軽に行けるところであり、家族でよく通っただけに残念ですね。スキー人気にかげりが見えたような気がして寂しくなりました。
 
カービングスキーの多いこともびっくりです。長いマニュアルスキーはもう時代遅れなんでしょうか。とあるイントラが20年かかってようやくマスターできたターンが、今の板なら数日でできてしまうとぼやいておりましたが、20年かかってもマスターできない私にも悔しい気持ちは分かりますね。

ザイル練習で顔をすりむいた
 登山を一生懸命やっていた頃のことです。ザイル取扱い練習の一環として、高さ10メートル程度の断崖をザイル降下したことがあります。ザイル降下といっても、壁面を一歩一歩踏みしめながら降りる基本的な方法であり、ピョンピョンとバウンドして降りるカッコいい方法ではありません。
 その断崖は、下から見上げたときは大したことがないと思えたのですが、いざ、崖の上に立って下を見下ろしたときにはビビりましたね。元来、高所を苦手とする私には、とんでもない高さに感じられたのです。しかし、仲間の手前今更ギブアップもできず、一大決心をして
清水の舞台から飛び降りる心境で降り始めたわけです。
 ところが案ずるよりも生むが安し、リーダーのアドバイスを忠実に守り、身体が壁と垂直になるくらいまで反らして数歩踏み出したところ、間もなく恐怖感が消えてしまいました。その後は楽勝、スイスイと順調に降り続けることができ、地面が間近に近づいたところまでは完璧だったのです。
 しかし、
最後の最後に思わぬワナが待ち受けていました。地面が間近だったため、簡単に飛び降りることができると思い込んだのが大きな間違いの元でした。
 飛び降りようとしたところ、足は地面に届かず、身体が宙ぶらりんになり岩壁に顔を擦る羽目になったのです。上から見下ろした時の距離感がいかにあてにならないかを思い知らされましたよ。
 油断大敵です。やはり着地するまで確実に歩むべきでした。何事も、慣れてきた頃やもう少しで終わるという頃が一番危険なんですね。
   

泳げば血圧が下がる
 毎週1回のプール通いは、今も続けております。最初の頃は、泳ぐ距離を1km以上と決めてターンの回数を数えたのですが、必ずといってよいほど数え間違うため、最近は、時間で泳ぐようにしているのです。通常は、ゆったりペースのクロールで50分〜1時間ノンストップで泳ぎます。
 以前は、ブレスト中心でしたが、クロールの息継ぎを覚えてからは
クロールオンリーとなってしまいました。というのも、力を入れないゆったりペースのクロールは、とても身体に楽なんですね。ブレストだと膝への負担も大きく、スピードアップしたり距離を泳いだりすると痛み出すんですよ。自分では若いつもりでしたが、いつの間にか膝が弱り出す年齢になっていたんですね。
 ところで、スイミングの前後では、血圧が違うことが分かりました。いつも通っているプール
に血圧計がありますので時々測っているんですが、泳ぎ終わった後は血圧が下がるんですよ。例えば、泳ぐ前には、最高血圧138、最低血圧87、脈拍66なのが、帰るときには、最高血圧127、最低血圧77、脈拍120位になるんです。脈拍は上がりますが、血圧が上下とも10以上下がるんです。
 物知りの先輩が分析するには、
ストレスが取れるからということらしいですが、確かにゆったりペースで長時間泳ぐとすっきりして心身ともにリフレッシュできますし、有酸素の全身運動ですから脂肪が燃焼して贅肉が落ちるなど一挙両得なんです。玉にきずは、単調なターンの繰り返しのため飽きてくることですよ。ヘッドホンステレオでも聞きながら泳げばベターなんですが・・(^^;) どなたか完全防水のスイミング用ヘッドホンセットをご存じの方教えていただけませんか。

地獄の合宿編
 年2回、春と夏の休み期間中に合宿が行われます。下級生の頃は、これが本当に嫌で嫌で・・・合宿の時期が近づくと憂鬱になったものです。しかし、楽しみもありました。全国各地に行きますので、帰りは自由行動となり旅行が楽しめるのです。
 私が4年間に合宿で行ったところは、北が青森県十和田市、南が佐賀県唐津市等8ヶ所です。北海道や沖縄に憧れたのですがついに実現しませんでした。今の学生さんは、沖縄どころかアメリカ等に海外遠征するそうですよ。まさに隔世の感がありますね。
 場所の選定は、3年生の役目です。皆の意見を聞いて候補地を選び、代表2名が現地に飛んで宿泊先や練習場所等を確保してくるのです。私もやりましたが、これが結構大変な仕事なんですよ。
 確か昭和48年夏合宿のことでした。候補地が
秋田県男鹿市に決まり、福島県出身のSと私の東北コンビが先発隊に選ばれたのです。Sと私は、校友会秋田支部長さん宅を訪れて挨拶した後、男鹿市に向かいました。
 支部長さんの紹介もあって、練習場所だけは市内の体育館に決まったのですが、宿泊場所が見つからなかったのです。時は夏の観光シーズン、凶悪そうな団体(^^;)を1週間も泊めてくれる奇特な旅館は無いんですね。ところが不思議なもので、男鹿合宿を諦めようと考え始めたとき、旅館が見つかりました。
 しかし、問題点もありました。旅館の場所は、羽立という男鹿市の隣町です。体育館まで優に片道5kmはあるんですよ。合宿の練習は、早朝、午前、午後の3回行われており、身体を軽く動かす程度の早朝練習はともかく、午前と午後の本格練習には体育館を使用しますから、毎日、宿舎と道場を2往復することになります。
 乗り物利用なんて堕落した発想は、当時厳禁でしたし、片道1〜2km程度ならいつものことなんですが、この時は、正規の練習をたっぷり行ったほかに
20km以上も走ることになるんです。私たちは、他を探す気力もありませんでしたから、まあ、体力錬成には丁度良いだろうなどと気楽に考え、旅館と契約して帰りました。大学に戻って報告したら皆からぼやかれたことは言うまでもありません。

又乗りたくなってイーハトーブを買った (2000.3.29)
 結婚資金の足しにするため、5年間乗ったCB750Fを手放し、その後は、乗りたくても我慢していたのです。ところが我慢も限界に達し無性にオートバイに乗りたくなってきたのです。しかし、大型車を購入するだけの余裕はありませんし、今更、小排気量のロードスポーツ車にも乗りたくありませんでした
 そうすると、選択肢はオフロード車しかなかったわけですが、モトクロッサーはちょっとしんどい・・・、トレール車も今一・・・、結局、トライアルに落ち着きました。中でもヤマハの2ストエンジンTY125が魅力的でしたが、本格的に乗るつもりはありませんでしたから、音の静かな4ストロークエンジン車を物色したのです。
 当時、ホンダのバイアルスに替わって
イーハトーブが新発売されたばかりでしたので、すぐに飛びつき購入したのが昭和56年のことでした。4スト125ccのため馬力不足でしたが、調子は抜群です。大半が通勤の足替わりという可哀想な使い方にもめげず10年以上も快調に動いてくれました。
 ところが、仕事の関係で2年間ほどまったく乗らずに放置したところ、全然動いてくれませんでした。知り合いのバイク屋さんに相談したところもう諦めなさい。と冷たく宣告されたのです。自分でレストアする技術もありませんからとうとう引退となってしまいました。手入れさえしていればまだまだ現役で大丈夫だったのにと後悔しています。

空手のランニング?奥が深い編
 後半の練習はランニングで始まります。長年の運動不足が積み重り肥満体になっている私にとって、ランニングと腹筋運動とウサギ飛びは大の苦手。初めのころは、2km程度のランニングがついていけませんでした。最初の頃は優しかった先輩も次第に厳しくなり、チンタラ走っていると、罵声とともに竹刀や蹴りが飛んでくるのです。走りながらのことですから大して痛くもありませんが、公衆の面前で、気合とともにビシッバシッとやると、周囲からきゃ〜可愛そうとかひど〜いとかの黄色い声が聞こえてきます。先輩にはそれが楽しみ・・・いわばパフォーマンス的な要素が多分にあったんですね。(^^;)
 ところで、走りながらの蹴りは、一見簡単そうに見えますが、ちょっと難しいんです。タイミングが上手く合わないと足がもつれますし、失敗して転んだりでもしたらいい恥さらし・・・とてもパフォーマンスどころではありません。 また、ランニングも長距離になると竹刀が邪魔です。途中で放り投げたくなりますよ。
 普段は、2km程度のランニングですが、時には、皇居一周5kmコースや銀座から上野を経由する15kmコース等を取ることもあるんです。初めて上野一周コースを走らせられたときは、疲労困憊のあまり、歩いて20分程度の下宿への帰り道に2時間以上かかったこともありました。次はあそこまで歩いたら休憩という風に自分に言い聞かせ、亀のごとく歩くのですから本当に悲惨でしたね。
 1年の夏休みに入るころには、身体もすっかり慣れ、ランニングにも何とかついていけるようになりました。おまけに、贅肉もとれスマートになったのですよ。なんと3ヶ月間で体重が10kgも減ったのです。最も、毎日昼食ぬきでハードな練習をしていたのですから当たり前かもしれませんが、夏休みで帰省したときには、あまりの変身ぶりに皆からびっくりされました。
 言い忘れましたが、ランニングに出るときは、最上級の4年生だけが草履を履き、3年生以下は裸足なんです。路面は、炎天下では火傷しそうなくらい熱く、冬は凍りつきそうなくらい冷たくなりますから、半端じゃありません。おかげで水虫等には全く縁がありませんでした。(^^;) 

山がそこにあるから登るんですか
山の魅力って何でしょうね。私の場合、ハイキングに毛が生えた程度、しかも県内での登山経験しかありませんので、あまり大きなことも言えませんが、大自然の空気を大いに満喫し、汗をかきかき頂上を極めて征服感に浸り、下界を見下ろしながら食べる弁当の味・・・この充実感は、登った者だけの世界ですね。
 しかし、困りものは、突然現れる
カミナリ様、これは本当に怖い。 昔、和賀岳に登ったときのことです。和賀岳とは、和賀郡沢内村にある1440メートルの山で、何カ所かある登山ルートのうち赤沢ルートを選びました。赤沢ルートは、尺物のイワナが釣れるポイントとしても有名な和賀川源流が登山口になります。しかし、そこまでのアプローチが長く、たどり着くには一山越さなければなりませんので、とてもよい準備運動になりますね(^^;)。
 本格的な登山は、和賀川源流から始まるのですが、ここからのコースはつづら折りになっておらず、ほとんど直踏みたいなものです。山頂まで最短距離で行けることはともかく疲れるのなんの・・・、日頃、運動不足の身には半端ではありませんでした。
 四苦八苦して山頂にたどり着き、秋田県側の田沢湖が眼下に見えたところまではよかったのですが、すぐに雷雲に取り囲まれ、落雷の危険がせまりましたので、登ったのもつかの間、転がるようにして下山したのです。それにしても、山のカミナリ様のど迫力には負けますね。頭を直撃されそうな恐怖感に襲われました。おかげで、
風紋(山頂の石が、風の通り道に沿って並ぶ現象)をゆっくり鑑賞する暇もありませんでした。それに、ちょろちょろの沢が瞬時にして激流に変貌しますし、登山道も雨でつるつる、疲れ切った身体に追い打ちをかけるように、帰りも一山・・・とにかく散々でしたね。

ここは体力養成部?編Part2
 クラブの練習は、自由組手と体力養成が中心でしたが、当時は、寸止めといって、現在主流のフルコンタクト式とは違い、相手に直接当てないルールでした。しかし、顔面こそ止めますが、腹部等は思いっきり当てていたのです。というのも、試合では、当てるくらいでないと攻撃が浅い、不十分等と見なされポイントにならないことが多かったからです。
 それに、顔面攻撃も一応止める建前にはなっていましたが、過失(中には故意も・・)で当たってしまうことも珍しくありませんでしたね。反則にはなるのですが、ガードが甘いから当てられる=当てられる方が悪いという感覚でしたし、気合いさえ入っていれば、相手の攻撃が少しぐらい当たってもダメージは少ないんです。ある時、私の顔面(頬骨)に先輩の強烈な上段突きがヒットしたのですが、私は何ともなかったにもかかわらず、先輩のこぶしの方が腫れ上がったことがありました。私は、おかげで自分の頬骨の強度に自信を持ちましたね。(^^;)  とにかく安全対策は遅れていましたね。
 それから、体力養成は、腕立て伏せや腹筋運動、ランニング等が中心となる素朴なものですが、空手の場合、こぶしや握力を鍛える名目で
拳立て・指立てを取り入れるため一筋縄ではいきません。
 拳立てとは、こぶしの人差し指と中指の付け根を地面につけて行う腕立て伏せのことです。慣れれば板の上やコンクリート上でもへっちゃらですが、初めは痛くて腕立てのポーズさえとれませんね。
 指立ては、五本指から始まり、修練を積めば一本指の腕立てはもちろん親指と人差し指で天井の桟を摘み、ぶら下がったまま移動できるようにもなるそうですが、私は、ぶら下がった人を直接見たことがありません。なお、親指一本の指立て程度なら私でも10回ほどはできました。もちろん過去完了形ですが。(^^;)

ここは体力養成部?
 入部するにあたり一番心配だったことは、体力的についていけるかどうかでした。高校時代は、一応運動部に在籍したのですが、映画やギターに明け暮れほとんど幽霊部員だったため、運動らしい運動はしていませんでしたし、身体もいわゆる肥満児の一歩手前だったからです。
 それでも先輩からは、少しずつやるから大丈夫等と甘い言葉で説得され、その気になったのが運の尽きでしたね。なるほど最初のころは、見学を主体にするなど割に楽だったのですが、いつの間にか特別待遇されなくなり地獄の練習が始まったのです。
 通常は、正午から始まり約3時間です。午後の授業がある者に限り途中で退出できますが、事前に時間割を提出させられていますので適当に抜けることなどできません。
 練習は、正座に始まり、準備運動、基本の突き・蹴り・受けなどを行いますが、後半がメインとなり、ランニングに出かけ2〜5Kmを走って戻り、組み手の練習に入ります。組み手というのは、ボクシングで言えばスパーリングのこと、お互いに殴ったり蹴ったり、そして最後は腕立て伏せ、腹筋運動、ウサギ飛びなどを延々とやって、午後3時すぎ正座でようやく終了です。
 3時間ぐらい大したことはないといわれるでしょうが、まったく休憩無しですし、気を抜けば怪我をするため真剣にならざるを得ませんでした。チンタラやっていれば上級生から竹刀でぶったたかれるんですが、先輩の目を盗んで腕立てや腹筋の回数を誤魔化す要領はすぐ覚えました。もちろん見つかったら悲惨ですね。 ^^;)

スイミング再開編
 宮古時代は、毎週プール通いをして適度な運動に心がけていたのですが、今年3月から盛岡勤務となって以来、仕事に追われる毎日でスイミングなど考える余裕がありませんでした。しかし、先日行われた定期健康診断では、中性脂肪総コレステロールが大幅増加となってしまい、10年ぶりで要精密検査の判定が
下されてしまったのです。
 その原因については、ストレス性も考えられるのでしょうが、やはり最大の原因は運動不足と思われますので、久しぶりにスイミングを再開することにし、取り敢えずどこのプールにするか検討を開始しました。
 盛岡市内の屋内プールは、いずれも混んでいてマイペースでの泳ぎはできませんし、市内は道路も駐車場も混雑するなど最悪の悪条件のため半分諦めかけていたのです。
 しかし、間もなく、隣町に素晴らしいプールがあることに気がつきました。自宅からは、車で僅か30分の距離ですし、土曜日の朝等ほとんど貸し切り状態ですからとても快適ですよ。 なお、うちのかみさんは全く泳げなかったのですが、運動不足解消を兼ね市内のスイミング教室に通ったりしたおかげで、少しずつ泳げるようになったのです。現在、50mの完泳を目標にして、私と一緒に通っていますが、本当の目的は、帰りに産直の店に寄ることのようですね (^^;)
 いずれにせよ、久しぶりだったため、最初は呼吸が苦しかったのですが、何とか慣れてきましたし、1時間も泳ぐと本当にすっきりしてストレスが取れます。中性脂肪やコレステロール等も少しは減るのではないかと期待しています。

今シーズンのスキーはたった2回だった
 沿岸に住んでいると、内陸まで出てスキーをやることが難行のように感じられます。つい億劫になった結果、今シーズンは僅か2回に終わりました。しかし、インストラクターからマンツーマンで教わる機会がありましたので、回数が少ないとはいえ有意義でした。
 それにしてもイントラ氏の口の悪いこと・・ 何でも、氏が準指を目指した当時、ボロクソにけなされながら指導を受けた暗い過去があるとか・・ それ以来、同じ手法を取り入れることに決め、誉めることは忘れたとのことです。 

 もっとも、私の場合、あまり誉められる滑りではないので、どっちもどっちと言えるでしょうね (^^;)  来シーズンこそは、ターンの時に膝を使う。ターンの後半で体が遅れない等課題を克服したいものです。
 ところで、連休の陽気につられ網張スキー場(左上の写真)を訪れてみました。岩手では老舗で玄人好みのスキー場ですが、既に雪は無く、山菜取り客で賑わっていました。 本来なら、ここのリフトは夏の岩手山登山用にも営業されるのですが、岩手山の噴火騒ぎが収まらないうちは無理でしょうね。早く収まって欲しいものです。
 なお、スキー場の帰り、水芭蕉の群生地(右上の写真)を見つけました。この道路は何度も通ったことがあるのに、今までまったく気づきませんでした。岩手山を望む地に咲いている水芭蕉は今が真盛り。スキーは出来ませんでしたが、私にとってはラッキーな一日でしたよ。

水泳はストレス解消法No1 東京中野サンプラ編
1月25日から2月5日まで東京出張となり、缶詰状態の研修を受けてきました。5年ぶりの東京出張でしたが、上京の都度、暇を見ては中野サンプラザの温水プールで泳いでおりましたので、今回も水泳パンツ等一式を持参しました。
 プールはビジターと会員とにコース分けされています。フリーの客にはコース2つが割り当てられ、2コースを往路・復路の一方通行にしてぐるぐる回すようにしていますので、正面衝突する危険性が無く非常に合理的です。(追突事故の可能性はあります。)
 研修休みの30日土曜日に行ってきたのですが、午前中にもかかわらず沢山の人が来ており、皆さん健康管理に一生懸命なようでした。しかし、私の場合、せっかく良い汗をかいても夜には必要以上の水分を補給してしまいますので、効果はあまり期待できませんね。(^^;;)

空手道 試し割り失敗編  (H11.1.12)
 試し割りは空手の花形、演武会で初めて見たときはそのド迫力に驚きました。とても自分には出来ないと思っていたんですが、何年かやっていればそれなりに出来るようになるものですね。(右下の写真は4年生当時の手刀割り) 試し割りを行う時は、空手用具専門店で売られている専用瓦を使用しますし、3年もやると10枚程度は何とか割れるようになるのですが、ある時、専用瓦が手に入らなかったため、仕方なく屋根に葺く本物の瓦で正拳割りにトライしたら、見事に手が腫れあがりました。

 空手では本来、巻き藁突きを行ってこぶしを鍛え、拳ダコを作るのですが、私はあまり熱心ではなかったため、その報いがもろに出てしまったのです。なお、拳ダコが無くても試し割りは可能ですが、3条件(パワーとスピードとやせ我慢 ^^; )が必要です。  また、試し割りの一種に三戦試割り(サンチンシワリ)というのがあります。身体を角材で殴らせ角材を折るというものですが、3年生の時に演武会(左上の写真)で腕を担当させられました。やっと技量が認められたかと喜んだのもつかの間、選ばれた理由は、腕が太いから失敗しても怪我はないだろうとの判断・・・(^^;;) これは腕ならどこでも良いというのではなく、ヒットする部位は前腕の筋肉部分でなければ骨折する危険があるからで、殴られ側よりも殴る側の方が技術的に難しいのです。 私の場合、誤って手首を殴られたことが何度もありましたが、先輩の見立てどおり?怪我をしたことはありませんでした。(それにつけても、試し割りは失敗した時が格別に痛い。)

呼吸法を覚えた水泳はストレス解消No1
 私が水泳を覚えたのは小学生の頃、もちろんスイミング・スクール等という気の利いたものも無く、顔を水面から出したままの自己流平泳ぎしかできませんでした。
 それでも、昭和60年の夏には、職場で行った宮古湾横断遠泳に参加し、約1.4Kmを完泳する等体力だけは自信があったのです。(顔を上げっぱなしでしたから、やたらに首だけは疲れましたが・・・)
 しかし、いつまでもそれでは格好が付かないと思い、平泳ぎとクロールの競泳スタイルを見よう見まねで始めたまでは良かったのですが呼吸が上手く出来ず、無理すると酸欠状態に陥って頭の芯がズキズキ痛んでくるのには参りました。(尺八を初めて吹いた時も同じ症状でしたね。)
 スクールにも何度か通って基本を教わり、その後もしぶとく水泳を続けたおかげか平泳ぎの呼吸法は案外簡単にマスターできたのですが、クロールには手こずりマスターできたのは最近のこと。自分なりに覚えた長距離を泳ぐポイントはリカバリーの際、いかに無駄な力を抜いて休めるかということでした。
 スイミングとは不思議なもので、一旦呼吸法さえマスターすればいくらでも泳げますし、少々疲れた時でもスイミングで汗を流すと気分がリフレッシュできます。毎週日曜日、屋内プールで平泳ぎとクロールを各30分ずつ合計1時間泳ぐのが日課ならぬ週課となっていますが、近くにプールの無いような環境に異動となったらどうしましょうか。(一番の心配事ですよ。)

スキーを覚えてから冬が待ち遠しくなった
 私は雪国に住んでいながらスキーとはまったく縁がありませんでしたし、オートバイを覚えてからは、雪はまさに大いなる厄介者にしか見えなかったのです。ところが、スキーはバイクの練習になる云々という甘い言葉に騙され、用具一式を買ったのが昭和54年1月のこと、それから狂ってしまいました。(すっごく狂いやすい体質なんですよ。)
 当時使用したのは、コフラックの靴にオガサカ・ユニティ2であり、佐藤デモや小野塚デモの両足をぴったり閉じた格好良さに憧れ、真似しようと血眼になっていたのです。(もちろん鵜の真似をするカラスにさえなれませんでした。)そして、ウエーデルンを覚え、新雪やコブ斜面も何とかこなせるようになった頃、私のスキー中毒は絶頂期に達し、嫌いだった冬が待ち遠しくて待ち遠しくて・・・
 そんな頃、スポーツ店のマスターに「そろそろ、こんな板に乗らないと」と煽てられ、買わせられた代物がロシニョールのコンステレーション、後で聞いたら、ロッシの中では最も高価な板とのことでした。(海和さんが当時乗っていた4Sケプラーよりも2万円も高かった。)ところが、期待を込めてゲレンデに持ち込み乗ってみたら全然曲がらない・・・焦りましたね。(ゴルフなら頼まれなくても曲がるのに・・)
 結局、体重が踵にかかっていたため後部エッジがひっかかって曲がれなかった訳ですが、オガサカならどのポジションでも曲がってくれたのにロッシは後傾だと言うことを聞いてくれませんでした。

わが流派空手道沖縄剛柔流 (H10.11.16)
 昭和46年4月、キャンパスで行われた空手の新入生歓迎演武会を見て、衝動的にクラブに入ってしまったのが運の尽き、4年間空手中心の生活を余儀なくされ学生生活が一変してしまいました。
 流派は沖縄剛柔流(日本剛柔流もあるのです。)であり、息吹といわれる呼吸法やゆったりした動きが特徴です。また、筋肉を鍛えるような型が多く、鍛錬を積めば身体で角材を折るようなこともできるようになります。私も始めて1年目で大臀筋(お尻のこと)、2年目で腹筋、3年目以降は腕を角材で殴らせ折るようなこともやりました。(と言うより強制的にやらせられました。もちろん、今では腕の方が折れちゃいますよ。)
 また、サイやヌンチャク等の琉球古武術も練習しましたが、ヌンチャクで何度自分の後頭部等を打ったことか・・・、本当に目から火花が飛び出ました。(痛かった。)
 しかし、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大ヒットしたため、子供達さえゴム製おもちゃを振り回す始末となり、何かブームに乗っているようで恥ずかしく、次第に熱が入らなくなってしまったのです。
 右の写真は私が愛用のもの。6尺棒もあったのですが、久しぶりで袋から出して見たらすっかり虫に食われていました。

オートバイの魅力はコーナリングと排気音 (H10.11.14)
 オートバイに乗るのは不良等という偏見?もあって、二輪車にはまったく興味がなかったのですが、仕事上どうしても二輪免許が必要になり、自動車学校で中型二輪を取ったのが昭和50年12月のこと。生まれて初めて乗ったホンダCB360T(教習車)で単車の魅力を知ったのでした。 免許を取ってすぐに、4本マフラーの重厚なスタイルで人気のあったCB350F(右下の写真)を購入し、スパイクタイヤに交換して、根性でひと冬乗り回しました。しかし、どうしても大型二輪に乗りたくなり、昭和51年3月、限定解除審査に挑戦し、事前審査のセンター・スタンド掛けや8字押し歩き等は難なくパスしたのですが、コース走行では一本橋で脱輪し、1回目は検定中止でした。2回目はコースを完走できたのですが減点のため不合格、3回目で何とか合格できたのです。当時、岩手県では3人目の合格者だったと言われ、これでナナハンに乗れると思うと本当にうれしかったですね。そして、当時の人気漫画「ナナハン・ライダー」の主人公「光」の愛車ホンダCB750Fの最終モデル(K6、左の写真)を購入した のです。これは、当時限定生産とかで、東北では10台しか入荷しなかったものの1台でしたが、4本マフラーのマルチサウンドは初期タイプのK0やK2ほどではないにしても、迫力のある良い音がしました。


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