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望遠鏡を作って月を見た (2001.1.14)
 子供のころ、望遠鏡を作った経験はありませんか? 一番簡単な方法は、虫メガネを左右の手に持って前後にスライドさせる超原始的なやり方ですね。
 もう少し程度が高くなると、対物レンズと接眼レンズがセットになった工作キットで自作する方法です。黒紙を貼ったボール紙を丸めて筒を作り、工作キットのレンズを取り付ければ出来上がりの簡単なものですし、アクロマートレンズではありませんから像の周囲が虹色に滲む 色収差 がありました。
 また、凸レンズ同士ですから像が逆さまに見えるんですよ。当時は、凸レンズと凹レンズを組み合わせたものやプリズム利用の地上用キットもありましたが高価でしたから、天体用セットの倒立像で我慢したものです。
 最初のころは、星を見るよりも景色を見る方が面白かったのですが、次第に天体にも興味が出てきて自然に星をのぞくようになったのです。そうなってくると色収差の生じないレンズとがっちりした三脚が必要ですし、倍率も必要になってきます。
  しかし、単に高倍率がよいということではありません。接眼レンズの焦点距離を短くすればするほど倍率は上がるのですが、 極限等数 の問題があり、小さい対物レンズですといくら倍率を上げても暗い星は見えません。
 また、土星のリングは星自体の傾き方もポイントですから、時期によってはどんな高倍率でも見えないのですよ。それに、木星の縞模様や火星の極冠等はなかなか分かりませんので、判別できる眼力を養うことも必要になりますね。
 屈折式望遠鏡の場合、対物レンズの大きさに限界があり倍率は上げられませんが、反射式ですとミラーは大きくできますし、色収差もありません。それから、上下左右に動かす経緯儀式の雲台は安価ですし簡単ですが、写真撮影をするならモータードライブの赤道儀式雲台が欲しくなります。
 私が初めて見たのはです。一番身近な天体ですし、双眼鏡程度でも十分なんですよ。それにしても、月のクレーターを初めて見たときは感激でした。満月だと表面はほとんど平坦にしか見えませんが、欠けているときは斜光線が当たるためボコボコのあばたが良く見えるんですね。
 その後、アポロ11号が人類史上初めて月に降り立ったわけですが、月の起源をはじめ多くの謎が現在に至るまで解明されていない不思議な天体であることも知ったのです。

カラオケCDでキャラバンにチャレンジ(2000.7.13)
 
ノーキーエドワーズの使っていたモズライトに憧れて、レプリカを衝動買いしたお話は前に紹介しました。その昔、モズライトもどきのエレキギターが売られていて食指が動いたことがありましたが、よく見るとトレモロアームの取付位置が本物と違っていて、間が抜けて見えたので買わなかったのです。
 その後に購入したモズライトは、レプリカとはいえサンバーストのボディーがずっしり重く、私ごときレベルでは、本物かどうかの見分けも付かない満足の一品なんですよ。なお、ここしばらくケース(買ったとき入ってきた段ボール箱のこと ^^;)から出すこともなかったのですが、たまたま、昔のエレキサウンドのカラオケCDが発売されることを知り、久しぶりに日の目を見ることができたのです。
 このCDには、ベンチャーズやスプートニクス、サウンズのヒットナンバーが納められており、一つの曲が、完全な演奏・リードギター抜き演奏・リズムギター抜き演奏と3曲構成になっていて、自分がリードかリズムパートを弾けばたちまち懐かしのエレキバンドが再現できる優れものなんです。
 今までは、ポンコツのテレコを持ち出し、最初にリズムパートを弾いて録音し、それを再生して合奏するような侘びしい方法でしたが、理想的なカラオケができたものです。すぐに飛びついて購入しました。さっそくやってみたところCDは理想的でしたが、案の定、指の方がどうしようもなく思うように動きませんでした。(^^;)
 それでも繰り返すうちにダイヤモンドヘッド、パイプライン程度は何とかこなせるようになりましたが、難敵キャラバンはそうはいきませんでした。これはベンチャーズの代表的ナンバーで、早引きのリードとドラムが最高です。以前にマスターしようとしてギブアップした曰く付きの曲なんですよ。しかし、CD代金の元くらいは取ろうと背水の陣を引いて再チャレンジ中です。
 ところで、エレキもいいんですが、ロスインディオスタバハラスのギターカラオケができないものでしょうかね。今風に言えばアコギのデュエットですがマリアエレーナスターダスト等を聞いてみて下さい。感動ものですよ。

ローマの休日は永遠の名作(2000.5.14)
 
先日、TVでローマの休日を見ました。これは、オードリーヘップバーンの米国第1作目、アカデミー主演女優賞にも輝いた彼女の代表作品です。今まで何度も放映され、VTRにも保存してあるのですが、ついつい又見てしまいましたね。モノクロ作品ですが、何度見ても新鮮で素晴らしいのです。
 私が初めて見たのは、昭和45年12月17日、もちろんリバイバル上映でした。当時の日記を見ますと、
 各国を視察途中のアン王女が、ローマに滞在するところからストーリーは始まる。一見何気ない様子で人々の挨拶を受けている彼女は、スカートの中で靴を脱ぎ足を休 めている等・・イントロからワイラーの演出が冴え渡っている。
 王女としての宿命を理解し、ペックと別れるシーンの涙の美しさ、
王女の信頼は、決して裏切られることはないでしょう。とペックが答えた記者会見でのやりとり、一番好きなところはどこかと質問され、しばしの沈黙の後、ローマです。ローマでの出来事は、一生忘れることはありません。と答えた王女の晴れやかな笑顔、そしてペックが宮殿を立ち去るラストシーンまで、まさに大人のおとぎ話、さすがは往年の名作、見事であった。
な〜んて感想が書かれてありました。
 ショートカットヘアのオードリーは、本当に愛らしいですし、ウイリアムワイラー監督は、正統派の巨匠で私のお気に入りです。子供達にもこの感動を味合わせたいと考えたのですが、見終わった後の子供達の反応は、ちょっと冷めておりました。ヘップバーンは、綺麗だし、まあ良かったけど、タイタニックやアルマゲドンのような、見たぁ〜という満足感はないね・・・ですよ。
 劇場のスクリーンとTV画面とでは、印象も違って当たり前ですが、ロマンティックな現代版おとぎ話も、大作慣れした子供達には通用しないのでしょうか。オードリーの清楚な美しさを理解できたのがせめてもの救いですね。

ペンティアム100はまだまだ現役です
 パソコン関連の進歩ぶりは、相変わらず目まぐるしいですね。私が初めてパソコンを買ったのは、昭和62年のこと。当時は、まだ8ビット機もバリバリの現役で発売されていましたし、まだベーシックがどうとかこうとか言われており、FDも5インチか8インチが全盛の時代でした。
 私が選んだのは、NECのPC−9801UV21という3.5インチFD搭載のマシーンでした。周りは、5インチのPC−98VM機が主流でしたから、3.5インチ対応のUV機を買うと宣言したらへそ曲がり扱いされ、3.5インチはコストがかかるとか誰もソフトの面倒を見てくれない云々と暖かい?アドバイスを戴いたものです。
 時は流れ、MS−DOSからウインドウズ(マックファンの方ごめんなさいね。)へ移り、W95に至って爆発的なパソコンブームが訪れました。私もインターネットをやりたくて、平成8年1月、ペンティアム100、ハードディスク850MHz、メモリー8MHzのFMVを購入しました。これでも当時は平均レベルのスペックでしたが、パワー不足はどうしようもなく今もってW98も入れておりません。
 取り替えたいのは山々ですが、諸般の事情(^^;)もありますので、ハードやメモリーを増設し、モデムの交換等も行って何とか現役を続けさせています。今では骨董品なのですが、我が家ではメイン機として当分頑張ってもらうつもりですよ。なお、UV機については、パケット通信専用にしていましたが、ノート入手を機に引退させ粗大ゴミに出してしまいました。ちょっと可哀想でしたが手狭ですので仕方ありませんね。

NHKのギター教室が先生だった
 私がギターを弾き始めたのは、中学時代のことです。弦の切れたクラシックギターを友達からもらったことがきっかけでした。当時は、ビートルズやベンチャーズ等グループ・サウンズが花盛り、私も機会があったらエレキギターを弾いてみたいと思っていたのです。
 しかし、たまたまクラシックギターが手に入ったこともあり、基本はクラシック、この際、クラシックから始めようと考えたのですが、周囲にギターをやっている人がおらず、誰も教えてくれませんでした。仕方なく、親指でメロディーをはじく程度でお茶を濁していたのですが、間もなくNHK教育テレビギター教室をやっていることに気づいたのです。
 さっそくテキストを買い求め、テレビにかじりつくようにして見ました。ギターの持ち方から、アポヤンド、トレモロ奏法等・・本当に勉強になりましたね。それ以来、アルペジオを一通りやった後にソルやカルリの練習曲を弾くことが日課となってしまいましたが、我ながら本当に熱心に打ち込んだと思いますよ。
 おかげで、ギター曲の定番禁じられた遊びを何とかこなせるまでになったのでした。この曲は、ルネ・クレマンの名作映画の主題曲で、ナルシソ・イエペスがスペイン民謡を取り入れたものと記憶していますが、クラシックギターをかじった人は必ず弾くほどの名曲で、私の憧れた曲の一つです。また、一見簡単そうに見えますが、初心者にとっては簡単ではないんですよ。転調してからの指の押さえ方が難しいですし、ほかにもサラバンド、ブーレー等が入っていますので、全曲を弾きこなすまでにはかなり大変です。主旋律をアポヤンドで強調するような弾き方をするには相当の練習が必要ですね。
 そのほかにも、タレガのアルハンブラの思い出やソルのモーツアルトの魔笛の主題による変奏曲等にも憧れましたね。毎日のように練習し、当時は何とか全部暗譜できたのですが、残念ながら今は一部分しか覚えていません。職に就いてからは、ほとんど練習をしていませんので、すっかり忘れましたし、指も動きません。元々マスターしたとか弾きこなしたと自慢できる技術ではありませんでしたから当たり前のことですね。消音や指使いなどはいい加減でしたし(^^;)、どうせ自己流・・それらしく聞こえれば十分と開き直っていたんですよ。

太陽がいっぱい・・解釈が難しい・・
 ルネ・クレマン監督の代表作の一つに太陽がいっぱいがあります。パトリシア・ハイスミスのサスペンス小説の映画化ですが、アンリ・ドカエの鮮やかな色彩のカメラ、ニーノ・ロータの甘い哀愁を帯びたテーマ曲、そしてマリー・ラフォレ、モーリス・ロネ、アラン・ドロンの豪華キャスティングと3拍子そろった名作です。初めて見たのは高校時代のことでした。
 クルーザーの上で、アラン・ドロンが金持ちの友人モーリス・ロネを刺し殺し、海に投げ捨てるクライマックス、海に捨てたはずの死体がクルーザーのスクリューに絡まっていて犯行がバレてしまうラストのどんでん返し等・・本当に見応えのある素晴らしい作品でしたね。
 しかし、単なるサスペンス映画にしか考えていなかった私は、ある時、故淀川長治先生のお話を聞いてびっくりしてしまいました。先生曰わく、
 アランとモーリスは、ホモセクシュアルの関係にあったんですね。だからこそ、モーリスを殺してもアランは死体を捨てきれず、何時までもクルーザーに繋いでいたのですよ。アランが浜辺で太陽がいっぱいだ。と嬉しそうにつぶやくラストシーンは、捕まって死刑になれば愛しのモーリスに会えるという喜びを表現してるんですねえ。とっても見事でしたねえ。
ということなんです。いやはや参りましたね。私には、先生のような深い読みはとてもできませんでした。想像もつきませんでしたよ。悪巧みは結局バレるぐらいにしか思っていなかったのですから・・私の映画好きは、その程度の理解力・・・ 結局、映画評論家にはなれませんした。ところで、映画をご覧になった皆さん、この作品が理解できましたか?

漫画には限りない夢とロマンがあった
 自分にとって漫画とは、限りない夢とロマンを教えてくれた先生でした。少年や少年クラブ等の月刊誌から始まり、少年マガジンや少年サンデー等の週刊誌に連載されていた漫画には、あらゆる知識の源にもなる有益で楽しいものが多く、みんなで回し読みをした隠れた教科書だったのです。
 鉄腕アトム鉄人28号をきっかけにSFに興味を持ち、サスケ忍者武芸帳では忍術のアカデミックさと修練の厳しさ、カムイ伝では江戸時代の階級制度、紫電改のタカでは戦争のむなしさ、ハリスの旋風巨人の星等ではスポーツの面白さと友情を教えられました。
 その他にも、ちかいの魔球、キャプテン、プレイボール、空手バカ一代、あしたのジョー、釣りキチ三平、ブラック・ジャック、火の鳥、伊賀の影丸等等等・・数え上げたらきりがありませんね。今でも漫画は大好きなのですが、残念ながら最近の漫画は魅力を感じるものが少ないように思います。これは決して年のせいだけでは無いと考えるのは私だけでしょうか?

ミュージカルは嫌い編
 映画評論家を目指していた頃、勉強のためと考えアトランダムに映画を見ていたのですが、ミュージカル系だけは何故か好きになれませんでした。ほとんど見向きもしなかったのです。ところが偶然に見たウエストサイド物語を見てぶっ飛んでしまいました。(見たきっかけは思い出せない。)
 現代版ロミオとジュリエットの物語構成はともかくとして、ジェローム・ロビンスが振り付けたダンスは躍動感とスピード感にあふれ、とても新鮮に見えたのです。
 そして、非常階段でのナタリー・ウッドとリチャード・べーマーのデュエットよりもタッカー・スミスのクールの方が一段と格好良く光っておりました。それからチャキリスのシャープな身のこなしも素晴らしく、私の空手に彼の動きがちょっとでもあればもっと強くなれるのに・・と感じたほどでした。
 また、映画
全体が、マンハッタンのスラム街に良くマッチしたくすんだカラーで撮影されていましたし、ロバート・ワイズの演出も切れが良かったので、久しぶりに良い映画を見たと充実感に浸ることができたのです。
 しかし、同監督サウンド・オブ・ミュージック音楽は素晴らしくサントラLP(CDではありません。)を買ってしまったほどでしたが、作品自体の出来はWSSほどの鮮烈さを感じませんでした。王様と私にいたってはデボラ・カーが見学したシャムの国王を風刺した演劇場面だけは本当に素晴らしかったものの、それ以外は印象に残っておりません。
 WSSを見た時、「ミュージカルも捨てたもんではない。食わず嫌いだったかな。」等と一度は考え直したのですが、結局、ミュージカルは私の体質に合わないのでしょうね。

レイブラット・ベリ編
 SF物は小さい頃から大好きで、ゴジラやモスラ等を見ては喜んでいたのですが、小説を本格的に読み始めたのは高校の頃からです。当時、読んでいたボーイズライフという月刊誌にSF特集の付録がありました。SF作家や評論家の選んだベストテンが載せられていたのです。
 ベストテンを集計した総合第1位はレイ・ブラッドベリの火星年代記でしたが、読んだことが無く、地元の書店にも見あたらなかったので、注文で取り寄せ読んだのです。早川SFシリーズ(31年前のこと、文庫版よりひとまわり大きい箱入りのポケットブック版で、320円でした。)のもので、当時は創元文庫と並んだ2大SFシリーズとなっていました。
 内容は、人類の火星移住物語をオムニバス形式で叙情的に描かれたものであり、真鍋博さんの挿し絵が不思議にマッチした作品でした。特に沈黙の町長の年月という挿話は大好きですね。ブラッドべリのその他の作品では、何かが道をやってくる、華氏451、刺青の男等も読んでみましたが、やはり火星年代記が一番ですね。

鉄道員のテーマの思い出
 鉄道員というモノクロの映画がありました。ピエトロ・ジェルミ監督・主演のイタリア映画で、急行の機関士が運転中、飛び込み自殺されて左遷となり酒浸りになるが、家族愛でようやく立ち直った時に静かに死んでいくというようなストーリーを少年の目で描いた作品だったように記憶しています。(エドアルド・ネボラも可愛いかったし、シルバア・コシナもきれいでしたね。)
 映画もさることながら、カルロ・ルスティケリ作曲のテーマ曲は名曲で通っており、セリフの入ったサントラ盤は私も大好きで、テープに取って繰り返し聞いておりました。確かセリフは、男性の声で「ボジョルノセニョレ」と聞こえ、次に女性の絶叫で「ダイラカーシ」とか何とかに聞こえたのです。 私は当時、まだ映画を見ていなかったので、そこは男女の悲しい別れの場面かなと想像していたのですが、映画を見てびっくりしました。見た方は分かると思いますが、セリフの場面は主人公のネボラ少年が元気で登校する場面だったのです。女性の絶叫に聞こえたのは、友達が「早く来いよ。」と呼びかけていたものだったんですね。まったく想像もつきませんでしたよ。

西部劇その1メサ編
 私は、マカロニウエスタンをきっかけにして洋画への興味を持ちはじめたわけですが、中でも西部劇、さらにその中でもモニュメントバレーのメサには特別の愛着がありました。メサとは、「駅馬車」「荒野の決闘」や騎兵隊三部作をはじめとするジョン・フォード監督の作品に必ずと言っていいほど出てくる奇怪な姿をした岩山(右の写真)のことです。
マカロニウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネ監督も「ウエスタン」という作品の中で、本物らしさを出すためにモニュメントバレーのメサを取り入れていましたし、ロバート・ゼメキス監督の「バックトウザフューチャーV」では馬をデロリアンに換えて「駅馬車」のパロディーに仕立て上げ効果的に使われており、思わずニンマリしてしまいましたよ。
正統派西部劇の象徴ともいえるモニュメントバレーはユタ州にあるそうですが、ぜひ一度は行ってみたいですね。

モズライトは憧れのエレキだった
 初めてギターを弾いたのは中学2年のこと。弦が2本ほど切れたクラシックギターを同級生からもらったことがきっかけです。そして、NHKのギター教室を見ながら「禁じられた遊び」や「アルハンブラの思い出」等を練習していたころ、ベンチャーズの「パイプライン」「ダイヤモンドヘッド」「十番街の殺人」「キャラバン」等が耳に入ってきました。 しびれにしびれましたね。
 その時、ノーキーの使っていたギターがモズライトです。女性の後ろ姿を思わせるような微妙なラインと粘りのあるサウンドは、当時のエレキギターの中で最も魅力的だったのです。(寺内タケシさんや加山雄三さんも今だ使っているほどですよ。)
 もちろん、本物は何10万もしましたので買えるわけがなく指をくわえていただけでしたが、10年ほど前、大枚9万円を払ってレプリカを衝動買いしてしまいました。たまに弾くと、グループサウンズ全盛時代の興奮が蘇ってきますね。

SFには夢がある (H10.11.3)
 SF小説には大いなるロマンがありますね。 高校時代、その面白さにすっかり見せられ、むさぼるように読みました。 最近ではほとんど読む機会が無くなりましたが、次の作品はもう一度ゆっくり読み返してみたいですね。
 ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」、ヴァン・ヴォークトの「宇宙船ビーグル号」、アーサー・C・クラークの「都市と星」、ジョン・ウインダムの「トリフィドの日」「光る眼」、クリフォード・D・シマックの「都市」、アイザック・アシモフの「われはロボット」「鋼鉄都市」、ウイルソン・タッカーの「長く大いなる沈黙」、ネビル・シュートの「渚にて」、レイ・ブラットベリの「火星年代記」、フレドリック・ブラウンの「発狂した宇宙」「火星人ゴーホーム」「天の光はすべて星」、エドガー・ライス・バローズの「火星シリーズ」等です。
 国産では、小松左京の「果てしなき流れの果てに」「復活の日」等ですが、半村良の「石の血脈」や高橋克彦の「総門谷」等もこのジャンルと言えるのでしょうか。 映画のノベライズ作品「ミクロの決死圏」や「2001年宇宙の旅」等も捨てがたいですね。

もしかしたら映画評論家だったかも (H10.11.3)
 中学生の頃、ジュリアーノ・ジェンマの「荒野の1ドル銀貨」を見てマカロニウエスタンにすっかりかぶれてしまいました。 それをきっかけに洋画に興味を持ち始め、大学生の頃は本気で映画評論家になろうと考え、一生懸命映画を見ては自己採点の真似事をしていたのです。
 しかし、映画評論家が絶賛したフェリーニの「8と2分の1」等を見てもあまりその良さが理解できなかったことや、淀川長治さんの「自分は50歳を過ぎて初めて評論をしてもいいだろうと考えた。 20歳代で評論家になる等とんでもない。」というようなお話を聞き、自分の能力の限界を感じて諦めました。
 映画キチになるきっかけとなったマカロニウエスタンでは、フランコ・ネロの「続荒野の用心棒」「真昼の用心棒」、ジェンマの「南から来た用心棒」、クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」「夕陽のガンマンとその続編」等が良かったですね。 また、あまり話題になりませんでしたが「帰ってきたガンマン」等も記憶に残っています。
 高校の頃、盛岡市に名画座ができたことから良く見に行きました。 ざっと思い出しただけでもルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」、エリア・カザンの「エデンの東」「波止場」、ロベール・アンリコの「冒険者たち」、ウイリアム・ワイラーの「大いなる西部」「ベンハー」、デビット・リーンの「旅情」「戦場にかける橋」等です。 また、新宿武蔵野館で見た「風と共に去りぬ」や「アラビアのロレンス」のスケールの大きさ、「シェーン」の殺し屋ジャック・パランスの黒づくめの格好よさ、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」のヌンチャクの見事さ等々々、スクリーンの迫力と音響効果はビデオではとても体験できませんね。
 先日、淀川長治先生の訃報に接しました。心からご冥福をお祈りいたします。


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