2004年9月 空を見上げながら思い出したぷりんにもりゅう君にも全く関係ないお話。 ママが大学生になって東京で暮らし始めた頃、地下鉄の駅を出ると必ず上を見ていた。なにせど田舎暮らししかしたことがなく高い建物といえば東光デパート(旧ダイエー)の地上4階の建物くらいしか縁がなかった。 そんなママには東京はすごいあこがれだった。 連立する高層ビル、雑踏・・・殺伐とした都会は誰にも干渉されず居心地も最高だった。雨の夜、車のヘッドライトがアスファルトの道路に反射してぼんやりと見える景色が何よりも好きだったし・・・ 月日とともにママはどんどん都会に慣れていって言葉も洋服も『東京人』っぽくしていった。(つもりだった。) 都内は一人で歩けたしもう一人前だね・・なんて思っていた。 ある日大学の友人と地下鉄の駅を出たとき、彼が言った。 「なぁ、及川(ママの旧姓)、地下鉄降りて上をむくのやめたら?しかもお前の口はぽかんと開いてるしその後必ずため息をつく。それって田舎者丸出しだよ。」 えー!!! ママは都会人になりきったつもりだったのに、これはショックだった。 でもよーく考えてみると確かにそうだ。 東京で暮らした6年間、直ることもなかったし今でもそうなのだろう。 だから子供達が上京するときもそのことだけは注意しておいた。 そしてさらに上いくおもしろい話。 ママのお母さん、藤沢ばあちゃんがママに会いに上京したとき。 ホームに入ってくる地下鉄に間に合わない藤沢ばあちゃんが騒いだ。ママを早く、早く!!!とせかす。 ママは何もすぐに次の電車がくるんだからあせらなくていいから・・と話した。 すぐに次の電車がやってきたとき「すごい!!!あと一時間は 来ないと思った。」と感心していた。 しかも人を押しのけて席に座り靴を脱いで正座をした。(おばあちゃんは椅子にもお座りする。) そんな人と一緒だってのがいやでドアの近くで立っていたママに「席空いたから座りなさい。」と大きな声をかけてよこす・・・・ やっぱりママの母親だ、DNAを変えることはできそうにない。 こんな話が山のようにある。 来年になればパパと二人。 こんな思い出話に泣いたり、笑ったりが多くなるんだろうね。 こんな話ぷりんとりゅう君は聞いてくれないからさ。 |