2003年1月 毎日朝から夜遅くまでお手伝い。 お兄ちゃんは学校が始まるので5日には帰った。駅へも送れずじゃあね!!もできなかった。次女とお姉ちゃんはぷりんの世話をしていてくれた。 家の玄関には送られてきたスキー道具やら洗濯物がつまったダンボール箱がおいてある。夜、お姉ちゃんにぷりんの爪が割れて血がでている。と言われた。そういえばけんけんもしている。 いつもなら大騒ぎのママなのにそんな元気もなくお姉ちゃん任せた!!!と寝てしまった。昨日まで一緒だったのにパパとママの様子が変!!!ちゃんとぷりんはわかっている。でも、ごめんね。今回はぷりんが我慢。 お姉ちゃんも帰ってしまったらどうしよう? 病院からすべてお姉ちゃんに任せてぷりんの爪をちゃんと調べたのは数日後だった。まだ赤くなっていてあーあ痛そう。 お姉ちゃんが帰ってからは次女がぷりんの足に包帯をまいてくれていた。 気づいてみれば我が家もいつもの5人になっていた。 子供達はそれぞれに自分のことや家のことをしてくれていたし、やっぱりママが過保護だったのかもしれないこともわかった。 お葬式にしてもみんなに助けてもらった。 自分一人ではどうにもならないことが多いのだから今まで以上にみんなに優しくしなければとも感じた。 おそらく、それはすぐ忘れてしまうだろうが・・・ たくさんのこと学んだし、考えた。 でも疲れたー |