時の流れのように

2013年4月

 藤沢じいちゃんは20年くらい前から自分史を書き始めていた。
夕飯後2時間くらいは毎日何かをしていたらしい。
弟が使わなくなったワープロで打ち始め、それが壊れたときパソコン操作を教えたのだけれど結局使えこなせず部品を直しては最後までその古くなった機械を使って作業を進めてきた。

枚数の折り合い、写真の数など印刷会社さんとの話し合いもなかなか進まずやっと今年になってやっとできてきた。

しかも作品は自分も気に入らず、ばあちゃんはばあちゃんで余計なことまで書いているとか、誤字が多いとか言いだし誰にもあげずに数十冊を押し入れにしまい込んでいた。

じいちゃんが書き始めた20数年前は差し上げる方もたくさんいたのだけれどなにせじいちゃんより早くお空に行った方達がほとんどでよんでもらいたい方もごく僅かになっていた。

もちろんママも完成した自分史をみたこともなかった。

葬儀の時おうちにそれがあって娘達が読んでいた。
「何回か聞いた話がほとんどだけどおもしろかったよ。」次女はそういってくれた。

20年以上書けて作った自分史がこういう扱いを受けてじいちゃんはどう思っただろう。
とても悲しくて、くやしかったに違いない。

だけどそんなことは一言も言わず、誰に文句も言わず、「続編を作ろう。」とまた二階の部屋での作業をしていた。

『時の流れに身をまかせ』という題名だった。
どうしてそうつけたのくらい聞いてあげたかった。
もっと協力してあげれば良かった。

家に持って帰ってきたその本。

まだ読む気にはならない。
夜中に涙が止まらなくなったとき表紙を撫でながら独り言。