藤沢じいちゃんの話

2011年6月

 その前に。
、ママは最近物忘れがすごい。
自分でもぞっとすることがある。
だから日記も同じことを何度も書いてるかもしれない。どうかそのことを心にためて大きな気持ちでよんでください。

地震があった3月は小雪もちらついてとても寒かった。一日中暖房のきいた部屋にいたママたちはとりあえず『家の冷たさ』を寂しい気持ちで実感した。
ここにすこしでも暖のとれるものがあったら心も安らいだと思う。

すぐ近くで夜通し救助を求めている人、家族を捜す人がいるなんて考えもできずただ寒くて仕方なかった。
この寒さに慣れるのには数日かかった。

戦争を体験している人はやはり強い。もっともっとのどん底を知っているからかもしれない。

おばあちゃんは戦争に負けたとき、焼け野原にされてすべてをなくしたけれど義援金などなかった。だって日本中すべての人がそうだったのだから・・・・
でも明日に向かわなければいけなかった・・と話していた。

停電で暖房機が使えず寒い、寒いと文句を言っておいたおじいちゃんは停電が解除されてテレビをみてからは何一つ文句を言わなくなったそうだ。

 その後ママが会いに行ったとき「寒くて大変だったでしょう?」と話した。「戦争中はろうそくだってずっとつけていられなかった。空から爆弾が降ってこないだけ幸せだ。」

81歳と91歳の両親はママにとって誇りだ。