(思うこと)父と母

2011年3月

 電話も通じず心配だった藤沢じいちゃんとばあちゃんに長女が連絡をとってくれた。
地震後揺れている間にすぐ長女から電話がきた。藤沢にもすぐかけて無事を確認したそうである。
それから電話は全く通じなくなった。

長女は仕事中ビルの21階にいたそうだ。
揺れが凄くて立っていられずドアノブにすがっていたそうだ。
それでも携帯は離さず震源地を確認したら宮城県沖、栗駒震度7とでたらしい。
長女はびっくりしたと思う。
すぐに私たちのことが心配で電話をかけてきたのだろう。

私もまた長女と同じように藤沢じいちゃんばあちゃんのことが気になった。
古い家は壊れているんじゃないか?
逃げる途中で転んだりしてないだろうか?
寒さはどうだろう?

どんなに思っても連絡も付かずとりあえず無事は確認したのだから余計なことを考えるのは辞めようと思った。

情報によると藤沢はここより早く電気もついたらしい。ただ電話だけが通じず6日目にやっとばあちゃんの声を聞いた。
それでも家のことが心配だったからパパに連れて行ってもらった。

地震によって汚いのか、その前からなのか実家は何も変わっていなかった。

やれやれ、また一つ心配が消えた。

けれどテレビを見ると沿岸は津波後と全く変わっていない。