忘れられるということ

2011年3月

 テレビを見たら自分なんて最高に良い身分だと思った。
水がこない、電気がこないと騒いでる自分が恥ずかしかった。

彼らを思えばなんでも耐えられると思う。

命を大切にしようと思う。

日が経つに連れてさらに多くなる被災者。
中には知ってる方もいらっしゃった。

遺体の見つかった方、今まだ雪の中で家族を捜している方。

かれらにしてあげられることは何もない。せめて募金するくらいだ、

この震災に隠れてしまって毎日報道されていたニュージーランド地震の被害者のかた方の話題がテレビから消えてしまった。
身元不明のかたがまだいらっしゃる。家族がずっと変わらず待ち続けている。
そんな気持ちを全員に分かってもらおうなんて考えてもいないだろうが今自分たちも同じ立場にたつととてもつらい。

人は生きてる限り前を向いて進まなければならない。生きていかなければいけない。
だからいつか行方不明者の捜索も打ち切られ、テレビでも報道も少なくなり人々に忘れられてしまう。

忘れられてしまう被災者がどんなに元気になってるか?
そんなに簡単なものではない。

むしろ今以上に気力も体力もなくなっていると思う。

そんな長くを通り過ぎなければ笑顔も復興もないのだ。

どうか忘れないで欲しい。
私たちのことを。

私たちも絶対に忘れてはいけない。