2011年3月 なにしろ断水、停電などしばらく縁がなかったのでことに大変さに気づくのも遅かった。 状況を知るためにラジオを探した。 なんとか一つ見つけてパパがこれはすごいことになってるらしいと話してくれた。 まず一番に心配だったことは震源地、これが東京だったらお姉ちゃんが大変だ!!! 申し訳ないことかもしれないけれど一番最初に心配だったのが家族の安否。 震源地は岩手県沖と聞いて少し安心。 次におにいちゃんは次女の確認に走った。 次女も無事。 とりあえずがんばれる力はできた。 おろおろしてるうちにあたりはだんだん暗くなる。 その時電気がないこと、水がないことの大変さがひたひたとやってきた。 懐中電灯をさがしてもなかなか見つからずやっと見つけたと思えば使ってないので中がぐちゃぐちゃになっていた。 単一、単二の電池がない。 お仏壇のろうそくを持ってきてともしたけれどけっしてロマンティックではなかった。 寒い!!! 反射式のストーブもないし、ホッカイロを体中に貼り付けて着込めるだけ着込んで家族で一つになっていた。 何を食べたかも覚えていない。 ただ、寒くて、暗くて不安だった。 普通に生活することのありがたさを改めて知った。 |