2011年3月 凄い揺れのあとは色んな物が倒れ、壊れ、被害のかなり少ない我が家でさえ壮絶だと思った。 地震があったときママはぷりんとりゅう君と一緒に二階でお昼寝をしていた。 たまたま会議が早く終わったパパがお散歩には早い時間だと横になっていた。そして揺れ。 ぷりんは揺れが凄くて立ち上がれないしりゅう君は固まっていた。 パパは「大丈夫。」といって落ち着いてたけれどママはテレビを押さえたり箪笥を押さえてみたり・・・あちこちから聞こえてくる物が壊れる音で発作がおきそうだった。 どれくらい時間がたったのか覚えていないけれど(ママには凄く早く思えた。)お兄ちゃんが会社から飛んできてくれた。 ぷりんはお年寄りで階段を降りることができない。30sをだっこするのは今のママには無理だ。 おそらくパパがいなかったらママはぷりんとりゅう君を側に置いて二階のへやで腰を抜かしていたと思う。 1階に来るとき子ども達のへやをちらっと見た。 お姉ちゃんの部屋はドアさえあかない。次女のへやはテレビが転がっていた。 お兄ちゃんの部屋は書棚が倒れガラスが散乱していた。 これはちゃんと見るとへこむなあ・・・と思ったから2.3日みるのさえ辞めた。 リビングもすごかった。両開きのボードはあき、中の食器が壊れていた。 壁の絵も落ちそうだった。 ことの大きさに、声も、涙もでずただ呆然としていた。 余震が起きるたびにおろおろしていた。 とにかくぷりんとりゅう君が歩くところだけはガラスを片づけなきゃ・・・と掃除をはじめた。 そこをするだけで他はみる気も、片づける気もおきなかった。 |