title:釣りについて


 私は昭和47年(1972年)に岩手県軽米町(かるまいまち)に生まれた。青森県との県境に位置する、人口1万2千人程ののどかな町である。(軽米町のホームページはこちらです。)
 家の近くには雪谷川という川があった。幼稚園時代、親父は家の近くの雪谷川でたまにじゃっこ釣り(じゃっこ:うぐい、おいかわ、あぶらはやなど雑魚の総称)をすることがあった。私は一緒に行って、中州に池をつくり、親父の釣った魚を泳がせて遊んでいた記憶がある。この頃は、まだ釣りに対する興味というのはなかったように思う。
 この頃の川に関する思い出として、今でも鮮明に覚えているものがある。同じ幼稚園の友達と雪谷川の川原で石を投げたり、砂を掘ったり、貝を見つけたりして遊んでいた時のことである。当然裸足になり川に入ったりもしていたのであるが、知らないうちに脱いだくつが片方流されてしまっていた。家に帰りそのことを母親に言うと、何故かめちゃくちゃ怒られた。ほんとに怖かった。その時は、くつがもったいないから怒るのかなと思ったりもした。今思えば、危ないから子供だけで行くな!という意味だったのだろう。

つつみ 我が家は、私が小学校に入学する直前に引っ越しをした。といっても、同じ軽米町内であるが。
 近くに川はなくなってしまったが、代わりにつつみ(周囲300mくらいの農業用のため池。地元ではこう呼ばれていた。)があった。
 そして、このつつみで私と釣りが出会うことになるのである。それは小学2年生の初夏であった。良く晴れた日曜日。上級生の友達に連れられて、始めて自分で釣り糸をたれたのである。仕掛けは近所の○○商店で買った100円のセット、竿はつつみの周りに生えている竹を切って使った。えさは、ご飯粒か餅だったと思う。確か15cmくらいのフナが1匹だけ釣れたように記憶している。たった1匹だけだが、その時のブルブルッという感触は何故か忘れられないものであった。そして、この日をきっかけに、私は頻繁につつみに通うようになったのである。
 当時、この初めて魚を釣った時の気持ちを作文に書き、学校で国語の時間に朗読した記憶があるのだが、残念ながらその作文は残っていない。その代わり、小学3年生の時の作文集が出てきたので、その中から釣りものを3つ紹介してみたい。これを読んでもらえれば、私がどれだけ釣りが好きだったのかお分かりいただけると思う。
作文7/5 魚つり
 今日、つりにいきました。つつみに、つりにいきました。あぶらもちでつりました。さおでつりました。たてうきでつりました。
 つってみたら、すぐにひきました。だから、30分ぐらいで16ぴきぐらいつれました。
 そしたら、つる人が5人きました。つりにきた人が、ぼくがつったのをみて「よぐつったなあ。」といいました。
 いっぱいつれて、バケツにはいらなくなったので、いえにかえって、大きいいれものをもってきました。
 えさが、なくなったので、人からもらいました。そのえさでつってみたら、つれる、えさだということが、わかりました。
 つっているうちに、かぜがふいてきて、つれなくなりました。
 にがしながらかぞえたら、63びきつれていました。
7/12 つり
 今日、つりにいきました。一人でいきました。つつみにいきました。
 あさ5時ごろにおきて、シカケをつくりました。えさは、まえのばんに、ねりえさをつくっておきました。バラケえさとくわせえさをつくりました。6時ごろによういができました。
 いけにいってつってみたら、はじめつれませんでした。ばしょをかえてつってみたら、つりぼりみたいにつれました。バケツに2つはいるくらいつりました。バケツにはいらなくなったので、ふくろをみつけて、つったフナをこんどはいれました。
 つっていたら、大きくてくろいこいが、およいでいるのが見えました。ぼくは、びっくりしました。
 つれすぎたので、うちにもっていこうとしたら、お母さんがきて、フナを2ひきつりました。ぜんぶで30ぴきつりました。
9/23 つり
 今日、つりをしました。
 もちをつくって、あめがふっていたので、お父さんの大きいカッパをきて、つりにいきました。
 いってつりはじめてからすぐに1ぴきつれました。つれた3びきめはひさしぶりにドジョウでした。ぼくはおもしろかったです。つれたしゅるいは、マブナとヘラブナとドジョウと金いろのこいです。
 ドジョウは1ぴき、マブナは9ひき、ヘラブナ2ひき、金いろのこいは1ぴきでした。ごうけい13びきでした。
 ひさしぶりに、つりをしてつれたので、おもしろくてすごくうれしかったです。

 これらの作文から分かること、「1人でも釣りに行く。」「前の日にえさを用意する。しかも2種類。」「釣りのために朝早く起きる。」「雨が降っていても行く。」
 小学校3年であったことを考えると、正直自分でも感心する?程の情熱である。
 このようにしてフナ釣りにはまった私は、高学年になるにつれて他の釣りにも興味を持つようになっていった。 まずは、瀬月内川のアブラハヤやウグイ。そして、八戸港でのイワシのサビキ釣りやアブラメの投げ釣りなど、、、
 とにかく色々な所に釣りに行きたくてしかたがなかった。特に、海は普段なじみのないせいか憧れが強く、釣りの本を毎日のように見ては思いを馳せていた記憶がある。この頃の親父は釣りに関して全く興味がなく、なかなか釣りに連れて行ってもらえずに悔しい思いをしたものであった。
 また、釣りの本を見て作った仕掛けを部屋の中にぶら下げておいて、洗濯物に引っかかったり、釣りバリが足に刺さったりして怒られたのも今となっては懐かしい思い出である。


ふなの魚拓 中学に入学してからは、他の小学校からきた友達の影響で、川釣りにはまっていった。これまでアブラハヤやウグイなどのいわゆるじゃっこしか釣ったことがなかった私は、岩魚や山女といった渓流魚に憧れた。
 瀬月内川、またそれに注ぎ込む名もなき沢。はたまた家から片道15km以上もある雪谷川支流。よくもまあ自転車で通ったものである。もちろん、つつみにも通っていた。(2001年1月1日、中一の時につつみで釣ったマブナの魚拓が届いた。詳しくはこちら
 この時代は田代氏から大きな影響を受けたのであるが、中学時代の3年間しか一緒に過ごしていないにも関わらず、釣りという共通の趣味があるおかげで、彼は私にとって今でも大切な親友の1人である。


 高校時代。中学時代に引き続き渓流魚を追い求めていたが、3月の解禁から5月くらいまでしか釣りをしなかった。
 一度だけ、20cm級の山女を1箇所で10匹以上釣り上げたことがあった。
 この時期は釣りに対する情熱がやや冷めていた時代である。


 大学時代の4年間を私は埼玉県大宮市で過ごした。これまでと異なる環境での生活。当然、釣りの環境も違った。
 近所の川?用水路?でたなごやふなといった小物釣りに数回行った。
 栃木県の日光に山女釣りに1回行った。この時、多くの野生の猿に遭遇し驚いたものである。 
 向こうでの釣りの記憶はそれくらいである。あとは、夏休みに帰省した時に八戸港でカレイやアブラメの投げ釣りを年2,3回した程度である。
 この時期も釣りに対する情熱がやや冷めていた時代であろう。


 大学を卒業した私は、地元軽米町にUターンした。
 自分の車を持ち、行動範囲が広がる。職場にも釣りが好きな同僚や先輩方がたくさんいた。そして、色々な釣りを教えてもらった。
 船釣り。 〜階上沖のアブラメ、釜石湾のミズクサガレイ、脇ノ沢沖のマガレイ、大畑沖のマコガレイ、夏泊大島の手こぎボートのマコガレイ〜
 堤防釣り。 〜大畑の沖防でのクロソイの夜釣り、八戸の沖防〜 などなど
 たくさんの釣り仲間に囲まれていて、いつも釣りの話ができる環境。当たり前のようになっているが、実に幸せなことである。

 就職して数年が経つと、世の中にだいぶインターネットというものが普及してきた。もともとパソコンには興味があったので、私もインターネットをやるようになり、当然釣り関係のHPを検索した。そして、釣り情報を発信しているたくさんの個人サイトに出会った。それまでは釣り情報といえば雑誌や新聞、テレビなどが主な情報源であったが、インターネットで出会ったそれはローカルかつタイムリーで、それらのメディアにはない説得力があり、私の釣りの興味に大きな影響を与えた。同時に、始めは見るだけだったHPを、徐々に自分も創ってみたいと思うようになった。そして、1999年12月にHP「海釣り日記〜堤防派〜」を開設。
 その後、ネットで知った情報の影響や掲示板やメールでの交流をきっかけにクロソイのワーミングにはまった。2000年5月25日は記念すべきワームでのクロソイ初ゲットの日である。この年は毎晩のように八戸や階上の漁港に通ったものである(笑)。

 そんな私も2001年3月に結婚。同年12月に第一子誕生。めっきり釣行回数は減ってしまったが、今は子供が大きくなったら一緒に釣りに行くことを楽しみにして、ささやかに釣りを楽しんでいます。 〜おわり〜

最終加筆・校正2003.4.8  

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